1ザカフカ-スにおける民族紛争の一つの典型的タイプは、地域名と同じ名称を持つ、いわゆる「名称民族」の地位を巡るものである。 2名称民族のその名称の領域に於ける他の民族に対する様々な分野での優越権はソ連憲法では明確に保証されている訳ではなかった。しかし、現実には公的組織の重要な官職はその名称民族に与えられており、それに反する任命は地元住民から民族的権利の侵害であると考えられた。名称民族の一員であることは、他の諸民族との比較で表現すれば、それだけで人生の成功を約束された。 3名称民族である権利は、当該地域での先住性によって規定された。過去を研究するべく歴史学は、民族紛争に関わることをよぎなくされた。アブハズ人は19世紀まで、アブハズ人が今日のアブハズィアの多数派民族であることを、グルジア人はグルジア人が多数派であったと主張する。 4歴史学におけるアブハズ、グルジア紛争での主要な論争は以下の諸問題である。(1)起源前2千年紀以前の両民族の分布。(2)古代アブハズィアの住民であるアバスグ人、アブスィル人の民族的帰属。(3)9世紀に現れた中世アブハズ王国の民族的性格。(4)10世紀に出現したグルジアのバグラト王家の民族的出自。(5)19世紀まで今日のアブハズィアに存在したアブハズィア公国特にサムルザカノ地方における民族的、領土的構成。(6)ロシア革命後成立したグルジア共和国(1918-21年)の対アブハズ人政策。(7)ソ連時代のグルジア政府のアブハズィア政策。
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