1991年、ソ連邦から独立したリトアニア共和国は1997年末の大統領選挙に至るまで目まぐるしい程の政治的変動が見られた。1992年、1996年の2回の国会選挙、1992年、1997年の大統領選挙を通して、リトアニア国民の意識の覚醒、政治変動がどのようなところから起きたのか、都市に限らず地方にも求めてみた。 ソ連時代には地方自治という概念はなかった。地方制度は上からの指示を忠実に実施するメカニズムにすぎなかった。独立後の旧共産党政権下で地方政治の脱ソビエト化は地方での有力な改革派の官僚層の不足から遅々として進まなかった。独立後3年経て、共和国憲法と地方自治体に関する法律で初めて動きだした。地方自治体は56あるが人口は3〜5万人の大きさの自治体が43%を占めていることからも農業国の特徴が出ているといえる。 地方選挙は政党の選挙のみである。しかし、地方選挙では個人のパーソナリティが政治的アイディアより大きく影響を与える。今日、政治意識については都市部と地方の間に大きな差がなくなってきた。地方では、政治集会にソ連体制に協力してきたインテリゲンチャは殆ど来ないが、農民や労働者が集まり活発な議論がなされるのには興味がもたれる。保守的な農民における意識の変化は刻々と変わりつつある。国が小さいこともさることながら、地方の人々の間のコミュニケーションの早いことは良きにつけ、悪しきにつけ、地方の人々の意識を変えている。批判精神が社会を動かすようになった点で農業国とはいえ、リトアニアはヨーロッパの土壌の上にあるといえる。
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