研究概要 |
今年度の研究によって得られた業績の概要は以下の通りである。 近代中国の文化的保守主義は大きく分けて,次の3つに分類することができる。即ち,(1)1860年代から90年代までの体用派,(2)1890年代から1920年代までの国粋派,(3)1920年代から5・60年代までの新儒家である。本年度の研究対象としたのは(2)およびその周辺にいた人々である。 「中体西用」を唱える体用派の人々が,物質文明と精神文明の区分をする方法を用いて,資本主義的近代化の衝撃の問題を解決しようとしたのに対して,彼ら国粋派の人々は直接的に綱常倫理を「中国が中国であるべき」文化的拠り所とは見なさず,民族的特性の視角から固有の「国粋」なるものを持ち出した。 清末に於いては,国粋派の人々の中には政治的には革命派の側に名を連ねる者が多かった。しかし,新たに創建された中華民国という政治・社会体制は,彼らの中の「保守性」を刺激するものであったと言える。そうした保守的意識の台頭は,著名な知識人の間だけでなく,多くの一般の人々の心情にも見られたところである。即ち,新しきものの登場によって,保守的風潮は醸し出されており,それが「主義」へと高められる環境は既に存在していたのである。こうした意識は,新文化運動時期に至って更に高まったと言える。 然るに,それは当時に於ける深刻な民族的危機の反映でもあった。民族的危機と民族文化精神との関係について言うなら,当時の保守派と新文化運動推進派は,それが共に因果関係にあるものと見なしていたことは明らかである。しかし,彼らの態度は根本的に相反していた。すなわち,新文化運動推進派が中国の現実的危機を伝統に対する崇拝に起因するものと見なした一方,保守派の人々は逆にそれが伝統的倫理道徳体系の離散に因るものだと見なし,その維持・再建こそ急務であると見なしたのである。
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