研究概要 |
非晶質酸化タングステン薄膜に電気化学的にLi^+イオンを挿入し,X線光電子分光法により価電子帯近傍の光電子スペクトルの変化を観測した。その結果,Liの挿入に伴い0eV付近に新たなピークが出現し,Li量の増加に伴い成長した。更に,多量のLi挿入により10eVに別のピークが出現した。一般に,酸化タングステン薄膜ではWの酸化数は+6であり5d軌道は空軌道であり,挿入イオンと同時に共注入される電子がWの5d軌道にトラップされることにより,膜の色が無色から青色へと変化するとされている。0eV付近に現れたピークはW5d軌道に電子が入ったことを表すものであり,膜の着色に直接関与するピークである。イオンの過剰な挿入により膜特性が劣化するとの指摘があるが,10eV付近のピークは特性劣化に関与する膜の電子状態変化に対応しているものと考えられる。このような電子状態変化は単独で起こるものではなく,原子配列の変化に起因するものである。本研究では,酸化タングステン薄膜の電子状態変化に着目し,クラスター分子軌道計算により価電子帯スペクトルのシミュレーションを行うことにより,原子配列と電子状態の相関について検討した。 代表研究者の研究グループは非晶質酸化タングステン薄膜の構造解析を永年にわたり行っており,基本的な膜構造は六方晶型WO_3結晶と正方晶型WO_3結晶のいずれかに類似した骨格構造を有していることが明らかになっている。そこで,この二つの結晶からWO_6八面体の七量体を抽出しクラスターモデルとした。イオンの挿入はクラスター中のW5d軌道に電子を挿入することでその状態を模した。結晶の骨格構造を保持したまま電子を挿入していくと,実験スペクトルと同様にHOMOレベルの直上にW5dによる準位が出現した。しかし,挿入電子の量を増やしても10eV付近に新たな準位の生成は認められなかった。この時,六本あるW-O結合のうち一本の結合性が電子挿入により結合性から反結合性へと変化していた。このような化学結合性の変化を反映する構造変化を考慮することにより,実験スペクトルを良好に再現することができた。
|