研究課題/領域番号 |
09303002
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研究種目 |
基盤研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
経済史
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研究機関 | 東京経済大学 (1998-1999) 東京大学 (1997) |
研究代表者 |
石井 寛治 東京経済大学, 経営学部, 教授 (20012122)
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研究分担者 |
斉藤 寿彦 (斎藤 寿彦) 千葉商科大学, 商経学部, 教授 (80049957)
伊藤 正直 東京大学, 大学院・経済学研究科, 教授 (70107499)
杉山 和雄 東洋英和女学院大学, 社会科学部, 教授 (70054301)
佐藤 政則 麗沢大学, 国際経済学部, 教授 (10192600)
西村 はつ 湘南工科大学, 教授 (10298250)
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研究期間 (年度) |
1997 – 1999
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研究課題ステータス |
完了 (1999年度)
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配分額 *注記 |
17,100千円 (直接経費: 17,100千円)
1999年度: 3,500千円 (直接経費: 3,500千円)
1998年度: 4,000千円 (直接経費: 4,000千円)
1997年度: 9,600千円 (直接経費: 9,600千円)
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キーワード | 金融危機 / 地方銀行 / 地域開発 / 銀行合同 / 銀行救済 / 不良債権 / 経営破綻 / 貸出審査 / 貸出調査 |
研究概要 |
1920年代を中心とする時期に頻発した金融危機にさいしての地方銀行経営の動向を分析し、以下に例示するような多くの新知見を得た。(1)1927年の金融恐慌は大都市所在の銀行破綻を招くに止まったという通説については、同年中の各銀行預金の増減分析から有力地方銀行を含めた再編成が進行する画期であることが判明した。(2)金融恐慌における銀行破綻の原因の多くは1910年代の活況にさいしての安易な信用供与にあり、さらに1920年代における政府・日銀の救済策に頼って問題解決を先送りにしたことにあった。(3)当時の地方銀行には貸出審査を専門に担当する審査部ないし審査課はほとんど設置されていなかったが、信用調査課を設置したり興信所を利用することは行われていた。(4)地方銀行の経営や合同については、とくに西日本各地では都市銀行との対抗・結合が大きな役割を果たしており、地方銀行のなかには芸備銀行のように活路を有価証券所有に求めるものも現れた。(5)地方銀行の中には山梨県の若尾銀行や和歌山県の四十三銀行のように京浜地方や阪神地方の企業への融資に力を注いだ結果破綻したケースも存在した。(6)第一次大戦期に飛躍的に拡大したコール市場を狙っていた自由なビルブローカー銀行の発展は1920年恐慌で終止符を打たれ、1927年以降は日銀にコントロールされた短資会社に席を譲った。(7)不良債権の処理が不徹底のまま地方銀行の合同が行われることがしばしばあり、長野県の信濃銀行や宮城県の日向中央銀行のように数年で休業に追い込まれるものも現れた。(8)県内の中心的銀行が破綻した場合は、1932年の岩手・宮崎・群馬のように県資金を主体とする銀行が設立されたが、そのさい宮崎県の場合のように大蔵省だけでなく内務省の指導が強く働いたケースがあった。(9)地方銀行の救済には、日本銀行だけでなく、日本勧業銀行と農工銀行も活動したが、宮崎農工銀行の場合は救済融資の条件が厳しかったため成果が制約された。
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