研究課題
基盤研究(B)
明治の工部省の工業化政策は、工部省自身が明治政府内の政治抗争の産物としての性格をもっていたように、必ずしも明治政府全体の一致した工業化政策と捉えることはできない。ここから、日本近代化がアジアにおける例外的成功例とされ、それが西洋近代技術の移植と工業化政策が成功したとからと考えることは必ずしも正当ではない。むしろ、強引な技術移植政策は、「政府は技術の観念がない」と技術者から批判され、八幡製鉄所の操業や紡績業の失敗を生んだ。この強引な移植政策は、お雇い外国人システムとも呼ばれるが、むしろ政権抗争の反映や特定外国技術の移植に偏した内容等から見て、伊藤博文方式」と呼ぶことの方が適切である。お雇い外国人も、明治政府内の派閥抗争と、派閥の対外関係から雇用先が左右された。その結果、海軍造船などは、フランス技術からイギリス技術へ転換され、結果的に世界技術発展の先端を吸収しやすくなった。しかし、鉱山冶金部門などでは当初世界進歩の中心地ではないイギリスに留学させるなどで迷走した。また、お雇い技術者相互の間でも有効な協力体制を形成することができないと言う事態を生んだ。こうした、政府のこの失敗を救ったのは、技術者であるので、技術者の活動を組み込んだ近代化史を構築することが日本近代化理解の一つの鍵となる。しかし、技術者自身も社会的産物であり、足尾鉱毒事件に見られるように鉱害を防ぐ活動に限界があった。この限界は、明治社会の強兵政策路線から来る強引な政府主導や軍事主導からくる矛盾までは解決できなかった。こうした工部省と明治技術発展の関連を組み込んだ近代日本史を展開することが今後の課題である。
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