研究課題/領域番号 |
09610060
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
美術史
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研究機関 | 大阪府立大学 |
研究代表者 |
中江 彬 大阪府立大学, 総合科学部, 教授 (20079007)
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研究期間 (年度) |
1997 – 1998
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研究課題ステータス |
完了 (1998年度)
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配分額 *注記 |
1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
1998年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
1997年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | ミケランジェロ / 岡倉覚三 / 高橋由一 / 黒田清輝 / 西郷隆盛 / ミムランジェロ / 夏目漱石 / 外山正一 / ヴァザーリ / 久米桂一郎 / 原田直次郎 / 吾輩は猫である / 裸体画 / 草枕 / ダンテ / ペイタ- / 大塚保治 |
研究概要 |
ペイターやシモンズの本を読むことのできた夏目漱石(1867-1916)の諸小説の中に、ダンテ的・ミケランジェロ的な地獄が見出せる。東京帝国大学の教授にして漱石の友人であった大塚保治は1901年に裸体画にまつわる諸批評について講演をし、システィーナ礼拝堂にあるミケラシジェロの<最後の審判>における裸体を偽善的に非難したビアジォについて語った。その話は、1568年にヴァザーリによって報告されたものである。1906年には、漱石の小説『吾輩は猫である』(1905-1906)は、黒田清輝の〈智・感・情〉(1889)や〈裸体婦図〉(1901)をそのテーヌ的にしてスパルタ的な理念ゆえに辛辣に批評した。黒田のパトロンにして東京帝国大学学長であった外山正一もまた1890年に、英雄理念について語り、西郷隆盛をミケランジェロないし彼の<ダヴィデ〉にたとえた。画家の高橋由一もまた自ら西郷の熱烈な賛美者であると告白しただけでなく、日本の国体の象徴としてや、西郷の比喩として〈日本武尊〉をミケランジェロ的な悲劇的身振りに描いた。東京美術学校教授の高村光雲の木型に基づき制作され、1888年に上野公園の丘に設置された青銅の〈西郷像〉はミケランジェロの〈ダヴィデ〉の青銅模造を想起させる。その彫刻は、まるでそれが新生のイタリア王国の象徴でもあるかのように、1874年にフィレンツェの南丘のミケランジェロ広場に設置されていた。このことは、東京美術学校の初代校長、岡倉覚三がミケランジェロの美術理論を受容していたことの証明になる。というのは、彼は1887年にイタリアを訪問していたからである。それゆえ1889年に彼は、狩野芳崖の〈悲母観音〉をミケランジェロの〈アダムの創造〉にたとえることができたのである。結論としそは、ミケランジェロの美術理論を理解すべくつとめたすぐれた知性を岡倉、由一、漱石の中に認めことができる。
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