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近代日本の伝染病対策と検疫体制の成立過程

研究課題

研究課題/領域番号 09610329
研究種目

基盤研究(C)

配分区分補助金
応募区分一般
研究分野 日本史
研究機関東京外国語大学

研究代表者

内海 孝  東京外国語大学, 留学生日本語教育センター, 教授 (50193917)

研究期間 (年度) 1997 – 1999
研究課題ステータス 完了 (2001年度)
配分額 *注記
1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
1999年度: 400千円 (直接経費: 400千円)
1998年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
1997年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
キーワード伝染病 / コレラ / ペスト / 衛生政策 / 検疫 / 検疫規則 / 条約改正 / 伝染病対策 / 検疫体制
研究概要

本研究によって、近代日本における伝染病対策と検疫体制とが、相互に密接な衛生政策的な連関性をもっていたばかりでなく、当時の日本と欧米先進国との外交的な力関係と貿易経済的な利害関係に深くかかわっていたことが明らかになった。以下、新しい知見と特徴をまとめてみる。
(1)近代の新しい政府になって、伝染病とくにコレラがはじめて流行したのは1877年であるが、政府が検疫規則を各国公使と協議して作成したのは1873年のことである。だが、それは施行する必要がなく、そのまま、陽の目をみることもなかった。
(2)1879年の7月、最初に統一された検疫規則が布告されたが、ヘスペリア号事件にみられたように、この規則はすべての外国船に遵守されたわけではなかった。そこで、政府は改めて検疫規則を制定し、それを各国公使に送り、その本国人に遵守してもらうように依頼するにいたった。だが、この場合もイギリス公使は、それをそのまま適用するのではなく、イギリスの法律として布達しなおすことで結着をみたのである。
(3)1882年6月、コレラ流行地から来航する船舶の検疫規則を公布し、各国公使に送って、その本国人に布達することを依頼、しかしイギリス公使のみは自国用の規則として作成しなおし、その本国人に布達した。このように、日本政府は、そのつど、各国公使に検疫規則の遵守を依頼して、その後に施行するという形式をとらざるをえず、この方式が習慣化していった。
(4)1891年6月、コレラ流行地以外からの来航船舶にたいして、94年5月には、ペスト対策として、検疫も実施できるようになった。このように1882年、91年、94年の3つの布告は、その時々の状況に応じて、臨時的に、施行されたのである。
(5)そのような応急処置的な臨時法ではなく、恒久的な検疫規則が公布されたのは1899年2月である。それは、居留地撤去(7月17日)の直後、8月4日から施行されたことからわかるように、条約改正交渉と並行して考えられ、日本の対外的な自立と国際的な政治環境の変化とを背景にして実現されたものであったということができる。

報告書

(4件)
  • 2001 研究成果報告書概要
  • 1999 実績報告書
  • 1998 実績報告書
  • 1997 実績報告書

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公開日: 1997-04-01   更新日: 2016-04-21  

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