研究課題/領域番号 |
09610395
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
西洋史
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研究機関 | 京都産業大学 |
研究代表者 |
松川 克彦 京都産業大学, 一般教育研究センター, 教授 (10140063)
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研究期間 (年度) |
1997 – 1999
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研究課題ステータス |
完了 (1999年度)
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配分額 *注記 |
1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
1999年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
1998年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
1997年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
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キーワード | ポーランド / ソ連 / 第二次大戦 / ポーランド分割 / ポーランド・ソヴェト戦争 / 亡命者 / 捕虜 / ポーランド国民感情「名誉」 / 第2次大戦 / ダンツィヒ / ロンドン亡命政府 / ナチス・ドイツ / ソヴエト・ロシア / ポーランド・ソヴエト戦争 / ポーランド軍の脱出 / ルーマニア / イギリス / ポーランド亡命政府 / イギリスの空の戦い / ポーランド空軍 / ル-マニア / フランス / ベック / シコルスキ / アンジュ / 国民会議 / シュミグウィ |
研究概要 |
1939年にドイツとソ連の侵略によって崩壊したポーランドは、32万人の損害を出した。第二次大戦でアメリカのうけた被害が30万人であるから、その数字の大きいことがわかる。ドイツの捕虜となったのは58万人、さらに20万人がソ連に連行された。政府そのものはロンドンに亡命して抵抗を続けたのである。 これら捕虜のうちから、また隣国へ脱出した兵士のなかから、新たにポーランド軍が結成され、それはほぼ52万に達している。国外あるいは国内において戦ったこれらの兵士の努力によってポーランドは再建されたのである。ただし、ソ連軍の支配のもとにまもなくワルシャワに共産主義者政府が成立すると、亡命政府はこのモスクワ勢力との戦いに従事した。 その戦いは長期間におよぶものであったが、1989年になって共産主義政府を崩壊させることに成功した。ポーランドはこのような長期間にわたって戦いを続行するなかで、東ヨーロッパ全域に及んだソ連の支配を崩壊させたのである。ポーランドのこのような行動は、「汝と、我らの自由のために」という伝統的な意識によって説明できる。 今世紀において、このような意識が実現された例としては、第二次対戦勃発以来半世紀以上に及ぶ上記の戦いをあげることが出来るとともに、もう一つ、1920年のソヴェトロシアとの戦いの例がある。当時ポーランドは、世界革命をねらって西側に進出してきたソヴェト・ロシアを打ち破ることによって、西側の自由を守ったのである。ポーランドのこのような行動は、19世紀、18世紀、さらにそれ以前の時代においてもみることができる。その背景にあるものは、ポーランドに伝統的な「名誉」という感情である。名誉のためには、国家そのものの価値さえも減少するのである。このような感情が、強制に対するポーランド人の抵抗の姿勢を支えてきたのであるといえよう。 今回、成果としてあげることができるのは、ポーランド崩壊にともなう政府 ・ 軍の脱出の詳細と、ポーランド人の抵抗の姿勢を支えてきた根底にある意識に関してである。
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