研究概要 |
18世紀末から19世紀初頭にかけてスコットランドでは急速に工業化と都市化が進展した。それはまた都市における「貧困問題」を生み出す過程でもあった。こうして、18世紀後半に「スコットランド啓蒙」として開花したスコットランドの「知的活動」も対応を迫られることになった。本研究では、ジョン・シンクレアーとトマス・チャーマーズを取り上げ、彼らがどのようにこの問題と取り組んだかを吟味し、それを通じて彼らの歴史的意味を解明しようとした。シンクレアーは、国民の生活状態とその向上の手段を探求するために「事実」の「調査」と「分析」を重視する「統計学」を提唱した。こうした立場から彼は、The Statistical Account of Scotland, Vols. XX,1791-99.などの統計資料に基づき、「貧困問題」発生の究極的原因を次の点に帰着させた。工業化に伴う「小さな地域杜会」の解体、都市の拡大、そして都市での生活環境による住民の「慎慮」や「倹約心」の喪失にである。しかし彼が提言した方策は、「小さな地域杜会」の再建ではなく、教育、貯蓄銀行への預金、友愛組合への加入などを通じて都市生活における個人のマナーの改善や独立心の育成であった。当初大学に職を求めたチャーマーズは、やがて福音派の牧師として台頭すると共に経済学についてもスミスよりもマルサスを高く評価し、経済活動に課された「自然の制限」を研究の基礎に据えるべきだと考えた。貧困問題はこの制限から生まれてくるのであり、したがってその対策は、労働者たちが「慎慮と内部からの原理」を働かせ、人口を食糧生産の制限内に抑制するしかないと主張した。この立場と田舎の教区での福音派牧師としての経験に基づき、大都市グラースゴウで貧困問題を解決するために「実験」を行った。シンクレアーとチャーマーズは、立場こそ異にしたが、共に、新しい工業化社会・都市社会における主体形成の問題を追究した点に彼らの歴史的意義があった。
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