研究課題/領域番号 |
09630071
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
経済史
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
長谷部 弘 東北大学, 大学院・経済学研究科, 教授 (50164835)
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研究分担者 |
高橋 基泰 愛媛大学, 法文学部, 助教授 (20261480)
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研究期間 (年度) |
1997 – 1999
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研究課題ステータス |
完了 (1999年度)
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配分額 *注記 |
2,900千円 (直接経費: 2,900千円)
1999年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
1998年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
1997年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | 蚕種業 / 蚕種取引 / 村落組織 / 同族 / 人口史 / イエ・ムラ社会 / 市場経済 / 上田 / 市場 / 蚕種商人 / 仲間 / 上塩尻村 / 同族団 / 上田領上塩尻村 / 中間 |
研究概要 |
本研究は、近世上田藩上塩尻村の村落内諸組織の構造とその歴史的変化の実態を、蚕種取引を中心とした市場経済化との関わりで明らかにしようとしたものである。3年の調査研究によって以下のような成果をあげることができた。 1)同村内の農民は、全国的に市場経済化の進む「宝暦〜天明期」に蚕種商人として関東筋を中心に東日本一帯で活動するようになり、18世紀末には村内人工の15%、120名前後が蚕種商人として蚕種の生産・取引活動に従事するようになった。 2)蚕種商人は、特にその生産と販売の単位は、当初多くの場合有力養蚕農家の同族的本家分家集団であったが、文化・文政期以降、蚕種販売市場(種場)毎の商人仲間(連)を形成するようになり、その市場活動全体の秩序は神明講(蚕種商人仲間)によって維持された。 3)天保期以降、上塩尻村は周辺の諏訪部村・秋和村・生塚村・下塩尻村から蚕種を仕入れ、かつ最大の蚕種生産、蚕種販売を行う村として中心的な位置を占めた。 4)上塩尻村内の人ロは、天明3年(1783年)の788人から幕未期まで変動しながら40名程度の増加を見たに過ぎない。しかし宗門帳家の「家」数は同期間に倍増している。この増加は、蚕種取引活動が村内に一般化した19世紀前半に多くみられた。これは蚕種商人活動によって家業・家産を拡大した農家が「分家」を多く輩出し、直系親族を中心とする家が増加した事によって生じた。幕末期、新たに台頭した農民を中心に村内秩序が再編された。 5)総じて、蚕種生産・取引が活発化する18世紀後半から19世紀にかけて上塩尻村内のイエ・ムラ的組織は、その結合の仕方を蚕種生産・取引を軸とした市場経済的結合へと大きく変化していった。その詳細な検討は今後の課題だが、本研究において、それらの結合構造の大枠を史料の調査分析に基づいて明らかにしえた点は大きな成果であろう。
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