研究概要 |
2年間にわたる研究で,明らかにできた諸点は,次の通りである。 まず,戦後直後からGHQなどの指導も刺激となって,新しい経営合理化推進のための団体がいくつか結成され,戦前から終戦直後までのそれら団体の活動及びその担い手が,1950年半ば以降の生産性運動の基礎となったこと,が明らかにされた。また,鉄鋼業の事例などから,戦前から企業内に蓄積された学習成果が新しい手法を導入する際の組織的能力として寄与したという面も確認された。他方,電機関係者のアメリカ生産工場の視察で,日本のように顧客ニーズが多様な国でも量産システムの実施が可能であることを認識したこと,提案制度やデザイン組織の方法の導入という面の直接的成果があったこと,運動の時期と技術導入期の一致,などが確認された。 第2に,生産性運動のセンターの生成と役割については,日本の生産性本部は,政府や財界の支援のもとに形成された。同本部が,戦前の組織が継承されたドイツや戦前の組織の影響下にあったオーストリアがかなり自律的運動を展開したのと異なり,また政府への依存度が強かったフランスとも異なり,政府・財界団体及び既存の関係諸団体と相互補完的システムを構築しながら運動を展開したこと,も明らかにされた。 第3に,組合の姿勢の国際比較については,各国の諸労働団体は,その国際組織である世界労働組合連盟(WFTU)や国際自由労働組合連盟(ICFTU)の方針と連動するかたちで運動へのコミットメントをもったことが確認された。しかしながら,各国の組合の詳細な比較史的検討については,今後に残された課題となった。
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