研究概要 |
本研究による主要な成果は,次の3点である。 (1) GE社からラングミュアの真空管特許を譲渡されていた東京電気は.1925年に.他社を真空管市場,とくに受信管市場に参入させないという戦略をとった。その戦略は成功し,1920年代後半に成長しつつある真空管ビジネスの利益を東京電気は享受した。GE社と提携した東京電気は特許権を武器に他の無線企業を圧倒した。さらに,1926年の東京電気と日本電気の間の協定は,日本電気が真空管製造に参入しないことを取り決めた。この協定は,1925年のアメリカにおけるラジオ会社グループと電話会社グループとの合意と同様のものであった。 (2) 1930年代には,日本電気が真空管市場に本格的に参入した。日本電気が真空管に参入できたのは,1932年の更新契約が日本電気にラングミュア特許を実施許諾したためであった。東京電気が従来の方針を変更した理由は,不明な点が多い。国内的には1930年以降もラングミュア特許は効力をみとめられ,日本電気は1932年はじめまで真空管製造の意図はなかった。一方,国際的な要因,つまり,アメリカ独禁法に基づく訴訟の影響によって,東京電気が提携するGE社,RCA社は特許実施許諾を与える方針に変化しつつあった。このような国際的な環境変化が日本国内の契約に反映され,経営者の交替による経営方針が積極化した日本電気は,真空管製造への参入に踏み切ったという推測が可能であろう。 (3) 日中戦争以降の需要急増によって,東京電気のシェアは低下した。そして,軍によって強制された特許・ノウハウの譲渡は東京電気から他の企業への技術移転を促進した。戦時期の技術普及は,第二次世界大戦後の競争的な市場構造をもたらした。戦時期の技術移転は,戦後日本のエレクトロニクス企業の基礎をつくったのである。
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