研究概要 |
炭鉱都市および炭鉱住宅を対象に,開発開始から現在に至るまでの変遷を具体的事例でトレースし,それをもとに炭鉱社会という特殊な背景のもとで行われた計画行為の特質を考察した。 炭鉱都市については,まず筑豊において炭鉱業の進展に伴う都市形成がどのように展開したのかを検討し,都市構造の差異が立地や産業基盤の違いにもとづいていることを例証した。つぎに,山田市の上山田地区を対象に,市街地形成と炭鉱集落との関わりを分析した。 単行集落については,山田市の5炭鉱を対象にその建設過程を追跡し,そこから企業の計画意図を読みとることを試みた。そして,炭鉱集落の実体には,出炭量などの経営条件以上に,企業の属性や開発理念の違いが強く反映していることを示した。大手2鉱は国策と連動する傾向が強いが,納屋集落的構成を残存させながら展開した三菱に対して,古河は昭和初期に納屋制度を廃止した際に納屋集落をクリアランスし,計画性の高い炭鉱集落を新たに建設している。この差は,企業内における炭鉱業の位置づけの違いによるところが大きいとみられる。また,一般に炭鉱集落は市街地を避けて丘陵部に建設されるのに対し,地元資本の樋口木城鉱は既存集落に接近して展開している。 炭鉱住宅については,記録保存の意味も含めて,山田市に残る50戸あまりの遺構を実測調査し、それをもとに復元図を作成した。また,閉山に際して作られた評価資料や採取した平面図などを用い,炭鉱住宅の建設年代と平面形式を,炭鉱集落ごとに分析し,これを労務管理の視点から考察した。たとえば,第一次大戦後に操業した日炭山田鉱は,参入と同時に多様な鉱員住宅を用意し,労務管理と結びついた住宅運営を行っている。 さらに,2つの炭鉱住宅地区を対象に生活に関する聞き取り調査を実施し,操業時代から閉山を経て現在に至るまでの生活史としてまとめた。
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