筆者は本研究課題に対して、法務省旧本館を取り上げ、とくに構法に関する研究を行った。まず、法務省旧本館(1888〜1895)に採用された碇聯鉄構法は、わが国において明治10年代にフランス人技師レスカスによって導入された。このレスカスの業績は地震国の耐震構法としてドイツでも知られ、ドイツ人建築家エンデ&ベックマンは、碇聯鉄構法を煉瓦造を前提にした場合に、セメント・モルタルとの併用で最強の耐震性を発揮する構法として旧本館に採用したのだった。従来、碇聯鉄構法は帯鉄を煉瓦壁の中に挿入して用いたと考えられていたが、旧本館では煉瓦壁中のみならず、火打ち梁のように建物のコーナーを固めていたことがわかった。なお、旧本館は現存最古の採用例となる。また、旧本館の廊下には防火床構法であるヴォールト煉瓦床が採用されたほか、3階床には煉瓦で被覆した鉄梁、さらに鉄筋コンクリートで補強した梁が用いられた。このように、旧本館は、1890年代以降に普及したとされる耐震ならびに防火床構法をすべて備えた先駆的な建物であった。次に、旧本館の床組は、建築仕様書によると、振れ止めで補強され、響き止めのために石炭殻が敷かれていたという。この種の床組は当時ドイツ式と呼ばれた。19世紀末のベルリンでは、根太に長さ6m以上の梁を用いた場合、90cmの間隔で根太を入れ、振れ止めで補強された。旧本館の根太の長さは762cmで、約92cmの間隔で配置されていたことから、床組の構法をドイツ式としてよい。さらに、旧本館の小屋組は、束を左右から方杖で支えたり、数多くの斜柱で支えている点でドイツに類例のないものであり、そこで用いられた部材はドイツのものよりも大きかった。そうなった理由は、日本では小屋裏を積極的に使用する必要が無かったことと、日本の耐震技術の発達を促したとされる濃尾地震(1891)を工事中に経験したことで、小屋組の耐震設計が強化されたからだと考えられる。
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