研究概要 |
1995年、科学技術基本法が制定されたことによって、我が国は、これまで以上に明確に科学技術立国を目指すことを内外に宣言したといえる.科学技術が近代国家の存立と発展にとってきわめて重要な意味をもっているという認織と主張、すなわち「科学技術立国論」の系譜を比較科学史的な視点から歴史的にあとづけようというのが本研究の課題であった.本研究を通じて明らかになったことを次のようにまとめることができる. 1. 19世紀後半、科学が制度化され専門職業化されるとともに、科学と技術の結びつきが深まり、科学技術立国論が現実味と切迫感をもって語られるようになった.例えば、1871年、フランスを代表する科学者L.パストゥールは『フランス科学についての省察』という小冊子を刊行してフランス科学の衰退に警鐘を鳴らすとともに、その原因や対策を論じた。また、1882年、イギリスの化学者G.ゴアは『国家発展の科学的基礎』を出版して、イギリスにおける科学の研究教育に対する軽視を批判し、このような現状を放置していると、イギリスの繁栄が危うくなりかねない、と人々に訴えた. 2. 我が国が,幕末から明治維新に至る混乱の時期を経て、近代国家建設の歩みを開始したのはちょうどこの頃である.すなわち、明治期の為政者たちは,制度化され専門職業化しつつあった科学と技術を我が国にいかにすみやかに導入するか、という課題に直面したのであった.1873年の工学寮(後の工部大学校)の設立は,このような課題に対する試行錯誤の一つであった. まさしく、我が国は明治期以来、営々と科学技術立国を目指してきたし、目指さざるを得なかったわけである.科学技術基本法の制定は、そのような歩みの集大成として、また、21世紀へ向けての国民的合意形成の基盤としてみることができよう.
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