研究課題/領域番号 |
09710016
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研究種目 |
奨励研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
思想史
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研究機関 | 電気通信大学 |
研究代表者 |
横田 理博 電気通信大学, 電気通信学部, 講師 (10251703)
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研究期間 (年度) |
1997 – 1998
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研究課題ステータス |
完了 (1998年度)
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配分額 *注記 |
2,100千円 (直接経費: 2,100千円)
1998年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
1997年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | 苦難の意味づけ / 神義論(Theodizee) / ルサンティマン / ウェーバー / ニーチェ / シェーラー / 西田幾多郎 / 和辻哲郎 / 苦難 / 善と幸との対応 / マックス・ウェーバー / 仏教の因果応報論 / 本居宣長の禍津日神論 / 平田篤胤の幽冥論 / 儒教の天命論 |
研究概要 |
(1) 日本思想史の上で苦難をいかに意味づけてきたのかという問題については、論文「ウェーバーのエートス論と日本思想」(『電気通信大学紀要』第11巻第1号、1998年6月、51-83頁)の第一章、および学会口頭発表「ウェーバーのエートス論と日本思想」(日本宗教学会第57回学術大会、1998年9月14日、龍谷大学、研究発表要旨は『宗教研究』第319号、1999年3月、41-42頁)において、研究成果を発表した。 (2) 近代日本の代表的な思想家である西田幾多郎や和辻哲郎において苦難はどう捉えているのかも考えてみた。「人生の悲哀」を自らの思索の原点とした西田は晩年の論文「場所的論理と宗教的世界観」で、絶対者である神は自己否定によって相対的な世界に自己をあらわすのであり、神は「極悪にまで下り得る神」でなければならず、“悪をさばく"意味での「最高の完全者」ではなく、自己否定において「悪魔的世界」にも自己を翻しうるかぎりで「真に全智全能」なのだ、と主張している。一方、和辻においては苦難の扱いがきわめて淡泊である。それは、たとえば、『原始仏教の実践哲学』の十二縁起の「老死」の捉え方に窺えるし、『倫理学』で葬儀などの間柄の観点から死を捉える議論にも窺える。また、苦を負う人々が「善悪」基準をうみだしたというニーチェの「ルサンティマン」説について、『ニイチェ研究』では肯定的に考えていたが、後年の『倫理学』になると、「意志の強さや生の豊さ」は「信頼に答え」て「己れの持ち場を死守する」ところで初めて有効なのだというニーチェ批判を示す。『倫理学』ではむしろシェーラーのルサンティマン説への親近性が示され、ゲゼルシャフトに対するゲマインシャフトの優位が強調される。西田と和辻についての考察は、論文「西田幾多郎と和辻哲郎における『個人』の生き方」(『電気通信大学紀要』第11巻第2号、1998年12月、175-195頁)の中に示した。
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