京都市南区東九条地域では、「東九条マダン」というまつりが1993年より地域内外の有志によって開催されてきた。朝鮮文化の表現を通じて在日韓国・朝鮮人の存在を顕在化させ、さらに民族文化の世代継承と日本人との相互理解・交流を進めることを主なねらいとしたこのまつりに関して、その実施状況およびこのまつりが地域社会とどのような関係を有しているかを社会学的に明らかにすることが本研究の目的である。参与観察質問紙調査、他都市での類似のまつりとの比較調査などから得られた知見は次の通りである。 1 様々な立場の人々(在日韓国・朝鮮人/日本人、障害者/健常者、若者/高齢者など)が、まつりという文化表現の場において何を出しあえばどこまで相互理解しあえるのかという問題が、回を重ねるごとに鮮明になりつつある。 2 この問題は、誰の文化に属する出し物を、誰が企画し、そこに誰が参加するのか、という多重構造をなしている。 3 さらに、ここにいう<誰>が、個人なのか、あるカテゴリー(たとえば障害者)に属する者なのか、という問いをも、このまつりは自覚的に抱えている。 4 さらに、まつりの準備過程および当日において、良きものとしてなされる<共生>の追及は、地域において妥協的に維持されている<日常>に時には過剰なメスをいれてしまい、ある種の均衡を破壊する作用をもつ。そこにこのまつりと地域社会の生活との関係におけるジレンマがある。 このように、このまつりは本当の意味での<共生>がいかなるもので有り得るのかを模索する、おおがかりな実験といえるであろう。今後もその行方を追い、このいわば<悩めるまつり>〉が現代の日本社会に何を提起するのかを、社会学的に見極める必要がある。
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