研究課題/領域番号 |
09710140
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研究種目 |
奨励研究(A)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
社会学(含社会福祉関係)
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研究機関 | 熊本大学 |
研究代表者 |
城 達也 熊本大学, 文学部, 助教授 (70271608)
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研究期間 (年度) |
1997 – 1998
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研究課題ステータス |
完了 (1998年度)
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配分額 *注記 |
2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
1998年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
1997年度: 1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
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キーワード | 社会理論 / 社会秩序 / 知識人 / ドイツ保守主義 / シェルスキー(Schelsky,H.) / ゲーレン(Gehlen,A.) / 知識社会学 / ハーバーマス(Habermas,J.) / 社会規範 / 大学教育 / ドイツ社会学 |
研究概要 |
世紀転換期からの急激な近代化による近代の古典的な意味体系の崩壊という事態は、O.シュペングラーをして文化と文明という区別をさせ、さらにはA.ウエーバーやH.フライヤーなどの文化社会学にも影響する。フライヤーのいう「現実」とは特定の歴史的時期と特定の文化圏・民族とにおける具体性のことであり、ロマン主義など保守主義的な精神運動のとった方向は、ドイツ文化の固有性を強調することによる意味の回復であった。 秩序に関する発想が前向きに転換するのは、ナチズムを経て第二次世界大戦後になってからである。その開始はA・ゲーレンの「文化の結晶化」論によって告げられたと言ってよい。これを受け継いだH.シェルスキーは、文明時代の知識のあり方と社会秩序の実現を目指し、行為の方向付けを行なう規範性を含んだ知識よりも、事実の叙述・説明を行なう知識に志向し、また一般的・抽象的な秩序を示す包括的な知識よりも、個別的なものを対象とする知識を求めた。こうした「現実性への傾向」によってシェルスキーは、専門科学に基づく新たな知識の形態とそれに基づく社会理論とを展開していく。 シェルスキーの構想したビーレフェルト大学は、古典的な「孤独と自由」の中で全体を語るような知識の生産の場ではなく、むしろ個別専門的な知識の有機的連関を目指したものであった。彼はそのような研究中心の大学を目指したが、大学の大衆化の中で挫折していったのである。 ルーマンのシステム論は、このシェルスキーの影響のもと、さらにこの知識の脱全体性と無根拠性とを彼の社会理論のなかで押し進めたものとして理解できるであろう。これに対してハーバーマスの議論は、シェルスキーの議論の科学主義的な部分がルーマンの中にも引き継がれている点を批判し、一方でロマン主義的回帰を警戒しながらも、他方で科学的知識のみの突出に警鐘を鳴らす位置に自らを置いていると言えよう。
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