方言札とは、近代沖縄の学校において、1907年頃に登場したとされる、沖縄方言を話した児童生徒に渡された罰札である。今年度の研究では、近代沖縄において方言札がどの時期にどの程度存在していたのかという基本的な事項を明らかにすることを課題とし、その着手として八重山地域及び宮古地域の小学校記念誌に掲載されている回想記や座談会記録を資料とした。なお、他の地域や中等学校については、今後の課題として、引き続き調査研究を行なう。 八重山地域では、ほとんどの学校で方言札があらゆる時期に存在していたことが確かめられた。これは、先行研究でほぼ欠落していた1920〜1930年代についても例外ではない。ただし、小浜尋常高等小学校古見分教場であった現在の古見小学校についてのみ、方言札の存在を確かめることはできなかった。 方言札の実態について、方言札の導入方法は一律ではなかったことも明らかにできた。一般的には、方言を話した児童が方言札を首からぶら下げられ、その児童は方言を話した児童を見つけて渡し、方言札を持った児童は何らかの罰があるというものであった。しかし大浜小学校(石垣島)では、方言を話したことだけでなく、喧嘩したときなどにも「監護札」を風紀係から渡されていた。また方言札への児童の対応は、当然のことながら多様であり、方言札とその罰を恐れて標準語を話すようになったり、無口になったりするだけでなく、「方言で言ったらばね」とはじめに言うことによって、方言で話すことを正当化する方法をも生み出していた。児童さらに教員の対応についての実態を明らかにすることは今後も引き続き課題である。
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