研究概要 |
本研究は、地籍台帳を分析することで市街地宅地所有状況を解明することを目的とする。本年度は、昭和6年から10年にかけて内山模型製図社が発行した東京市15区の地籍台帳のうち、麹町区、神田区、日本橋区、京橋区、麻布区、赤坂区、四谷区、牛込区、小石川区、本郷区、下谷区、浅草区、本所区、深川区の1,170万坪(56,340筆)と、昭和27年に不動産調査会が発行した『東京都土地要覧』の中央区(旧京橋区・日本橋区)の108万坪(22,631筆)をデータベース化した。そのうえで、前年度に行った明治末期の地籍台帳の分析により類型化した大地主のうち旧大名の所有地に関して、どのような変遷をたどるのか調査した。 明治末期に1万坪以上の宅地を所有する141名の地主のうち、旧大名であった41名の所有地が114万坪であったが、昭和に入って約2/3に減少していた。要因として、大正5年に華族世襲財産法が改正され、世襲財産とした不動産を公債や株式に更換できるようになったこと、大正9年に雑耕地に特別税がかかるようになったこと、大正12年の関東大震災などがあげられる。 集中して土地を所有する旧大名の中に、貸地貸家を営むものが多く確認されたが、所有地を分筆して売却する際、筆の細分化の要因になっていたことがわかった。旧大名らの大規模土地所有者が都市形成に関与するに至らなかったということは、1,000坪以上の大きな筆を多く含む集中型在住所有者の筆の細分化が最も進んでいたことと、土地売却の割合が最も高かった事実からも明示できる。 反対に、明治期に土地を集積していたと推測できた「在住」と「不在住」所有地を同等に所有していた旧大名の所有地は、明治期では商人地主の所有筆より小さいところに分布していたのが特徴であったが、これらの多くに合筆が見られる傾向にあったことは、従来の貸地貸家経営の枠を超えた土地運用の可能性があったといえる。
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