研究概要 |
助成3年目は、日本のマラリア頻発地域であった沖縄県石垣市・竹富町、滋賀県彦根市,沖縄公文書館で,八重山新報,朝日新聞(滋賀版)などから関連記事を収集するとともに,そのデータベース化を進めた。さらに西表島でマラリア防遏を担当した当時の保健所員から詳細な聞き取りを行った。その結果,八重山地方のマラリアは熱帯マラリアが60〜70%を占め,三日熱,四日熱マラリアも存在し,石垣島の開拓地や西表島全域のジャングルでの湿気の多い場所や湧水地での蚊の発生に起因すること,八重山地方が明治中期から南方防備の最前線,拓殖適地(農業開拓・西表島の石炭採掘)として注目され,入植者の予防・治療という観点から,当時日本の植民地であった台湾のマラリア対策を参考にした方策が採られたことが判明した。 一方,滋賀県の湖辺一帯のマラリアは三日熱マラリアで,致死率も低いため,大正初期までは局地的な風士病としてうけとられていた。大正末期以降罹患者数が増加し,県衛生部によって「予防規則心得」の配布,彦根町では予防費が計上された。終戦後の混乱と琵琶湖の水位低下によって,マラリアは彦根市を中心に爆発的な流行をする。GHQの勧告というかたちで撲滅運動が展開され,その政策は総合的な地域行政のモデルとなった。 イタリアの短期調査では,ローマ国立図書館でマラリア学の図書・史料の閲覧複写と,マレンマ地域アグロ・ポンティーノといったローマに近い海岸地帯,シチリアやトスカーナ地域の集落立地と生態環境についての視察と研究者との意見交換を行った。その結果,イタリアではほとんど農業的価値(=畑作)を持たなかった海岸湿地を,1930年代のムッソリーニによる国土開発によって,再びマラリアが頻発したことを確認できた。以上の成果をもとに,これまで収集した史料の翻刻・解題を兼ねた最終報告書を執筆し,さらに今後,学会誌等に成果を発表の予定である。
|