国語教育史における「古典」概念の形成過程を明らかにするため、2つの観点から文献調査を行い、学会発表および論文作成を通してその成果を公開した。まずは、明治後期における国語教育論の動向を明らかにすることを試みた。そのために、明治30年代を代表する国語教育論者である落合直文の論稿と編集教科書を通して、当時の国語教科書の編集方針の典型性を明らかにすることを試みた。その結果、落合をはじめ、当時の多くの教科書編集者たちが日常的に使用する平易な言語文章となる「普通文」の創成と普及を第一目標としてとらえていたことを指摘した。 次に、1943(昭和18)年に制定された法令において背景と、それが「古典」概念の形成過程において持つ意味についての分析を試みた。この法令は、明治以来の国語教育関連法令において、はじめて「古典」という語が使用されたものである。当時刊行されていた雑誌などに掲載された論稿や、使用されていた教科書の分析をはじめ、1931(昭和6)年および1937(昭和12)年に制定された法令の背景とそれをめぐる議論なども分析することにより、1943年の法令が「古典」を非常に重視した法令であったことを明らかにするとともに、今日的な「古典」の概念自体は、すでに1931年の法令において成立していたことを指摘した。 上記の2つの観点から行った研究からもたらされた知見は、「古典」の形成は、その対概念である「国語」概念の形成過程と不即不離の関係にあるということである。明治以来の言文一致運動が成熟し、いわゆる口語体が定着し、国語科の中で「現代文」という概念が広く使用されるようになったのが1931(昭和6)年の法令が制定された時期であり、「古典」もそれに伴って安定的に使用されるようになったことが本研究から明らかになってきたのである。
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