本年度は、シュルレアリスムにおける衣服と身体の問題を理論的な見地とモードとの関連の双方から考察していくことを目指した。その際に着目したのが「切断=裁断」の概念である。シュルレアリスムの「イメージ」においては、衣服が人間身体に代置されるものとして描かれることが珍しくない。それはすなわち、身体が不在のものとなり、衣服のみが現前することである。また、シュルレアリストが描く身体はしばしば切断され、パーツへと解体されている。これはある意味で、衣服的なありかたである。というのは、衣服は本来いくつかのパーツが縫合されることで成立するものであり、常に解体可能なものであり、切断される身体はあたかも衣服であるかのように扱われているといえる。アンドレ・ブルトンがパピエ・コレを型紙になぞらえていることから、衣服制作とコラージュとの関係に着目し、当時現れはじめた立体裁断の手法との関連を明らかにした。つまり、身体にあてられた布地は既にして身体と同一化しているのであり、表象のレヴェルにおいては布地にハサミを入れることと身体にハサミを入れることが同じ行為と見なされるのである。このことを踏まえつつ、ブルトンの『狂気の愛』における有名なスプーンの分析を参照することで、シュルレアリスムにおいては衣服が潜在的な身体として捉えられうることを口頭発表「シュルレアリスムにおける衣服と身体-切断=裁断の概念をめぐって-」において提示した。これはシュルレアリスム内部での問題にとどまらず、シュルレアリスムを同時代のモードの世界に関連づけられる点において、シュルレアリスムにおける衣服の問題を語る上で外せない論点となることは間違いない。
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