今年度(2010年度)の主な研究成果は、8月に東京で開催された「国際プラトン学会」にて口頭発表を行った、プラトン『国家』第五巻末の議論での「対象」の意味の再検討である。プラトンは、ここでの議論において、「知識」と「思わく」を「能力」と定義し、そのそれぞれに「あるもの」と「ありかつあらぬもの」という異なる「対象」を振り分け、両者の心的状態を明確に区別した。しかしながら、多くの解釈者たちは、この「あるもの」と「ありかつあらぬもの」をそれぞれ「真実在」(イデア)と「感覚物」と伝統的にみなしてきた。その考えに従うならば、プラトンによるこの区別は「私たちが知りうるのはイデアのみで、自分たちの身の回りの世界については何も知りえない」といういわゆる「二世界説」に帰着する他はない。しかしながら、この「二世界説」は、われわれ現代の認識論的立場から到底受け入れられないばかりでなく、プラトン自身の他の対話篇、さらには『国家』における彼の哲人王のプログラム自体とも重大な齪齬をきたすため、それがプラトンの真意であったかどうかは慎重に判断する必要がある。私は今回の発表で、この「二世界説」問題に取り組む多くの論者の中でも、とりわけ影響力のあるファインとゴンザレスの解釈を詳細に分析し、両者の見解もまた伝統的解釈と同様に「対象」を「外延的」に捉えているために、問題解決に向けて不十分であることを指摘した。対して、私自身は「能力」の「対象」をその「仕事」と決して切り離すことができない「内包的対象」と捉えることで「二世界説」問題を根本的に解決することを試みた。この見解は、学会のProceedingsの形式で紙媒体としてすでに発表されている。なお、口頭発表での議論を踏まえた正式な論文は、本学会のSelected Papersに投稿し、現在はその査読結果を待っているところである。
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