古墳時代における武具の生産から副葬の様相の復元を目的として、鉄鏃や鉄製甲冑を検討した。本年度は特に鉄製甲冑のうち、冑の2大形式である衝角付冑と眉庇付冑の詳細な型式学的分析を推し進めた。 検討の結果、衝角付冑では生産系統の変遷と古墳時代中期中葉における生産系統の多系化の存在が判明した。これらの各系統には、部材の大きさの変化の方向性や、用いる部材の形態などにそれぞれ特徴的な差異がみられることから、それらを異なる工房に相当する生産と位置づけた。眉庇付冑についても同様に文様の構成や部材の大小といったまとまりが抽出でき、別個の工房での生産によるものと考えられる。衝角付冑・眉庇付冑ともに古墳時代中期中葉を画期として、生産工房の拡大と量産化がなされたとみられ、その背景に倭王権周辺による武具生産体制の拡充方針を想定した。 また、詳細な型式学的検討に基づいて、衝角付冑や眉庇付冑の製作順序を確定した。これにより、古墳への副葬時に同時に埋納される複数の資料には異なる段階で製作されたものが多く含まれており、複数段階にわたる生産行為と流通・入手による武具の集積という様相が明らかとなった。同一古墳内や同一古墳群内における武具の集積状況をみると、個々人ごとにまとまって武具を入手する状況は復元できず、相互に入り乱れる形で何度にもわたって武具を入手するような様相が判明した。一括資料としての武具にも生産工房を限定するようなまとまりを認めることはできない。以上のことから、古墳時代における武具の生産から副葬に至る経緯には、特に計画的・体系的な方針は認められない。器物の授受を核としてなされる諸関係の構築は、生産者たる倭王権中枢の諸勢力と、入手者たる各地の有力者の個別的な関係に基づく非制度的な方式であり、そこに成熟国家段階以前の有力者間関係の一様相をみることができると考える。
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