研究概要 |
本年度は昨年の研究を踏まえて,近代中国の文化的保守主義の事例として,戴季陶の思想の考察を行なった。本年度の研究において明らかとなった点は以下の通りである。 新文化運動時期の戴季陶は,マルクス主義を基調とした反伝統主義的傾向を示していた。それは,社会構造の変容に伴って文化もその内容を変えるものであるとする考えに基づくものであった。当時,将来の中国の主人公となるべき存在はプロレタリア階級であると考えられていた。そうした意味において,新文化は彼らのために創り上げられるべきものと考えられていた。しかし,彼自身はマルクス主義を信奉するとはいえ,それを現在的な運動としては捉えていなかった。そうした傾向が,恐らく彼をしてマルクス主義にさほどの未練を残させなかった理由であろうと考えられる。 その後の戴季陶は,一気に反共主義者へと転じることになる。国民革命時期に至って,彼は孫文思想を儒家思想の流れの中で解釈するようになる。そうした傾向は,孫文存命時期から現れ始めていたが,それが本格化するのは孫文死後のことである。これが「戴季陶主義」と称され,文化的保守主義の一様態と見なされるものである。しかし,彼の伝統文化の称揚は,新文化運動に遭遇した伝統的知識人が見せた反応とは同質ではなかった。即ち,清末・民初の伝統的知識人が自らの信条体系の保持のために,新たな価値体系に拒否の姿勢を示したのに対して,戴季陶の場合は明かに新たな国家建設に向けてのものであったからである。まず,革命遂行のために国民党の排他的指導性が確保され,更には国民の政治的道徳の確立が説かれたのである。これが,伝統に対する「功利主義的態度」と言われる所以である。また,労働者大衆は「知らしめられる」べき客体として認識されていたが,それは彼の従来からの傾向の延長線上にあったと言うことができるであろう。
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