本年度は、西日本の縄文・弥生移行期における東日本系土器の展開を検討し、その分布と各段階における特徴的な様相を追求することにある。北部九州で水田稲作が開始され渡来人の入植が始まる早期1段階から、弥生前期の新しい段階にわたる東西文化の相互交渉を中心に検討をおこなった。 まず、西日本における東日本系土器の集成をおこない、これと平行して近畿地方以西の広範囲にわたって併行関係をおさえることが比較可能となる、土器編年の構築作業をおこなった。 その結果、東日本系土器は北部九州から近畿の各地で見られ、時期毎にその分布に特徴的な様相が認められる。まず、表の早期1段階以前の晩期中葉、大洞Cl式段階までは土器及び土偶の大量出土に見られるように著しい緊密な関係が存在した。次の早期1段階、すなわち北部九州で水田稲作が開始される段階に突然関係が断絶してしまう。さらに次の前期1段階、すなわち北部九州で最古の弥生土器である板付I式土器が成立する段階に再び関係が活発化する。この段階には、西日本各地の土器様式構造に影響を与えるほどに関係は緊密であり、弥生土器の成立に東日本の要素が色濃く継承された。こうした現象は、弥生文化の成立が決して西日本を中心に単系的に実現されたのではなく、東日本の縄文系文化を含めた広範囲にわたる相互交渉の結果、予想以上の複雑性をもちつつ成し遂げられたことを示している。今後、土器以外の考古資料の検討をおこなう予定である。
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