研究課題/領域番号 |
10410065
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研究種目 |
基盤研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
広田 照幸 東京大学, 大学院・教育学研究科, 助教授 (10208887)
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研究分担者 |
高橋 一郎 大阪教育大学, 教育学部, 助教授 (70226819)
吉田 文 メディア教育開発センター, 助教授 (10221475)
天野 郁夫 国立学校財務センター, 教授 (50022398)
橋本 鉱市 大学評価・学位授与機, 構, 助教授 (40260509)
菊池 城司 大阪大学, 人間科学部, 教授 (00027963)
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研究期間 (年度) |
1998 – 2000
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研究課題ステータス |
完了 (2000年度)
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配分額 *注記 |
10,800千円 (直接経費: 10,800千円)
2000年度: 2,300千円 (直接経費: 2,300千円)
1999年度: 3,700千円 (直接経費: 3,700千円)
1998年度: 4,800千円 (直接経費: 4,800千円)
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キーワード | 社会移動 / 教育機会 / 中等教育 / 社会階層 / ライフコース / 社会史 / 学校文化 / 地域社会 |
研究概要 |
わが国の戦間期における諸タイプの中等教育が果たした社会的機能について、二つのまったく対照的な地域社会における諸学校のケーススタディを通して考察した。 社会変動が急速に進行した豊中(大阪府)では、新中間層の地域内への移住が新たな教育ニーズを生み、中学校や高等女学校のような、アカデミックカリキュラムの中等教育機関を叢生させた。 それに対して、近代化が比較的緩やかに進行した鶴岡(山形県)では、地域内諸階層が分化した教育ニーズを抱いて、それに対する形で、中等教育機関が順次作られていった。中学校は、割合豊かな階層の出身者を集め、新中間層へのメインルートとなっていた。工業学校は、地域内の広い階層から生徒を集め、1930年代に急成長する大都市の重化学工業における下級技術者を供給していた。また、裁縫学校は、農村出身者を集め、地域内の農業層の主婦を養成する場として機能した。 本研究の知見を一般化すれば、第一に、地域内の諸階層の構造とその変動が、中等教育に対するニーズのタイプや質を規定していたということであり、第二に、地域の近代化や産業発展のための人材形成が一貫して目標とされていながら、実際には、威信の高い中等教育機関は、むしろ地域外への流出を促進する機関として機能したということである。 後者の点は、戦後の高校進学率の急増期に至るまで一貫したわが国中等教育の特質を示していると解釈できるが、この点の検討は分析途上のいくつかの学校と並んで、今後の課題として残った。
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