研究概要 |
『バガヴァッド・ギーター』(B.C.1世紀頃)に起源を持つバクティ信仰は、その後パーンチャラートラ派やバーガヴァタ派におけるヴイシュヌ神信仰の高まりと結びつきながら、後には南インドのタミルにおいてバクテイ運動という形で大きな盛り上がりを見せ、その後、一方では、ヴェーダーンタ哲学と結びつきながらサンスクリット的ブラフマニズムの中に取り入れられることでインド全土に広まっていくとともに(例えばヤームナ・ラーマーヌジャ・マドヴァ・ヴァッラバ・チャイタニア)、他方では、各地方の地方言語・地方文化の形成と結びついて下層の人々にまで浸透していった(例えばテンガライ派・ワールカリー派・ラーマーナンダ・カビール・ヴァッラバ派・チャイタニア派)。このようなバクテイ運動の展開を通して、中世ヒンドウイズムの特質(汎インド的なサンスクリット的ヒンドゥイズムとさまざまな地方的・民衆的なヒンドウイズムとの重層性)が形成されていった一つの側面に、『バガヴァッド・ギーター』の四つの注釈(シャンカラ、ラーヌジャ、マドヴァ、ジュニャーネシュヴァーのもの)に見られるバクティ思想の展開がある。このうち本研究ではジュニャーネシュワルによるマラーティ語によるギーター注釈『ジュニャーネーシュヴァリー』の和訳研究を行った。その成果が、『ジュニャーネーシュヴァリー』和訳(第一章-第三章)である。そしてそこに見られる地方言語で展開されたバクティ運動およびバクティ思想の最初期の形態を、サンスクリット語によって展開された3つのギーター注釈におけるバクティ思想との比較を通して明らかにしたのが、''A Study on the Historical Development of Bhakti Found in Five Commentaries on the Bhagavadgita at Eighth Conference on Early Literature in Mew-Indo Aryan Languages, Leuven University, 23-26 August 2000と「ギーター註解としての『ジュニャーネーシュヴァリー』-1-6章を中心として」インド思想史学会、2001.12.15である。
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