研究課題/領域番号 |
10610050
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
美学(含芸術諸学)
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研究機関 | 昭和音楽大学 |
研究代表者 |
塚原 康子 昭和音楽大学, 音楽学部, 助教授 (60202181)
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研究期間 (年度) |
1998 – 1999
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研究課題ステータス |
完了 (1999年度)
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配分額 *注記 |
2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
1999年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
1998年度: 1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
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キーワード | 雅楽 / 近代日本音響 / 宮内省楽部 / 伶人 / 西洋音楽 / 伝承制度 / 近代雅楽制度 / 宮内省式部職楽部 / 雅楽家(伶人) / 雅楽普及 / 宮内省式部職学部 |
研究概要 |
本研究は、明治期から昭和戦前期までの宮内省式部職楽部の活動を中心に、近代における雅楽制度の概要を略史と資料編(楽師一覧・略年表)の形で明らかにするとともに、将来の無形文化財保護あるいは芸術振興政策のための基礎資料を提供することを目的とする。 1.幕末までの宮中行事と雅楽種目の復興を前提に、明治維新後に行われた宮中行事再編と雅楽局設置以後の改革により、今日「雅楽」に包摂されるすべての種目・曲目と楽器を伶人(旧楽人)が兼担する近代の雅楽制度が確立された。雅楽伝承の負担増に加えて明治7年に西洋音楽の兼修が始まり、近代の宮廷音楽家の音楽的資質は変化したが、雅楽と西洋音楽の間に立って保育唱歌の作曲・音楽取調掛への出向などの先駆的活動を行った。 2.宮廷音楽の維持と後継者養成のため、明治17年から旧楽家に対する楽道保存賜金が皇室内帑金より支給され、旧楽家中心の楽部体制が戦前まで存続した。併せて楽生の教育カリキュラムと試験方法等が整備され、大正3年には雅楽練習所における7年制の専門教育へと発展した。しかし一方で、明治後期には人事の停滞や処遇への不満から楽部離職者が相次ぎ、明治30年には官制改革を求める楽師全員のストライキにまで立ち至った。 3.大正〜昭和初期には、明治天皇大葬(誄歌再興〉や大正天皇・昭和天皇の大嘗祭(悠紀・主基の稲春歌・風俗歌新作)など近代の国家的皇室行事を通じて、雅楽は世界に誇るべき日本文化と認知され、雅楽の調査研究、廃絶曲の再興や新作が楽部内外で始まった。また全国各地の神社や教派神道系宗教団体等への雅楽普及にも楽師が大いに貢献した。 4.太平洋戦争開戦後は多くの楽師が出征し戦後も楽部定員が半減したことにより、楽部は最大の転換期を迎えた。昭和30年に楽部は国の重要無形文化財総合指定を受けたが、歴史的遺産である雅楽を存続させる芸術政策の検討が今後さらに望まれる。
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