インターネットを基盤とした(市民的)公共圏の形成の可能性という問題自体をまず理論的に精緻化したかたちで設定しなおし、ついでその展開可能性の発現とみなされうるような具体的事例の検討をおこなった。 ハーバーマスの公共圏概念は、空間性(コミュニケーション的行為によって再生産される社会空間の構築)と自己言及性(言論による批判の回路を公共圏自身にも向けることによる自己反省性)を本質とする。インターネットは理論的には、公共圏のこの二つの特性(空間性と自己言及性)を実現するうえで適した環境ではある。しかし現実にはインターネットは、一方では既存の社会関係にとらわれない自律的なネットワーク形成を可能にするが、他方では匿名性に基づく逸脱やミクロな権力追及を増殖させるというアンビヴァレントな志向性をもつ。従って、インターネット空間全体が一般的に、市民的公共圏の形成の基盤となるとは必ずしもいえない。 経験的事例の検討は、インターネットを基盤として形成される公共圏をミクロ/マクロの二つのレベルに分けてモデル化したうえでおこなった。ミクロな公共圏とは、個人が主要な参加者となり参加者自身のアイデンティティ形成の場となるような社会空間であり、マクロな公共圏とは、市民運動などの形態で組織化された参加者が中心となり政治システムへの批判や政策提言を中心的役割とする社会空間である。日米におけるいくつかの事例を検討した結果、インターネット空間における公共圏の形成の芽は、ミクロなレベルではかなり一般的にみられた。しかしながら、マクロな公共圏は、米国においてはすでにその具体例がみられるのに対し、日本における具体例はいまだ見出し難かった。
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