研究課題/領域番号 |
10610315
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
高木 博志 京都大学, 人文科学研究科, 助教授 (30202146)
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研究期間 (年度) |
1998 – 1999
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研究課題ステータス |
完了 (1999年度)
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配分額 *注記 |
3,000千円 (直接経費: 3,000千円)
1999年度: 1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
1998年度: 1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
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キーワード | 文化財 / 日本美術史 / 正倉院 / 神武天皇 / 帝室博物館 / 聖地大和 / 天皇制 / 文化史 / 文化財保護 / 橿原神宮 / 神武天皇陵 / 帝*博物館 / 畝傍山 / 「聖地」大和 / 美術史 / 陵墓 / 史蹟 / 名勝 / 皇室 |
研究概要 |
本研究では、幕末から1940年の紀元二千六百年までの、奈良という地域の変容に迫った。「聖地」大和の形成過程を、歴史的古代と神話的古代の形成という二つの観点から分析した。いわば政治文化として古代復興論である。 神話的古代の復興としては、明治維新における神武創業の理念の浮上、幕末の神武陵の造営、神武天皇をまつる橿原神宮の創建、そして畝傍山の皇室財産化を明らかにした。日清戦争後には、畝傍山山麓が全体として神苑化されてゆき、1940年の紀元二千六百年事業にその聖域化は完成する。この間、記紀神話のフィクションが視覚化されてゆく。 歴史的古代の復興は、1880年代にフェノロサ・岡倉天心が手につけた法隆寺・興福寺などの古社寺の復興、皇室財産としての大和三山や正倉院御物の形成、1889年の帝国奈良博物館の発足、吉野山・奈良公園などの名勝や平城京・古墳といった史蹟の整備・保存などを通じて実現してゆく。そして明治期の文化財の体系的な調査が、制度としての日本美術史成立の基礎作業となり、岡倉天心による日本ではじめての「日本美術史」の叙述の成立につながる。ここでは、ヨーロッパのギリシャの「古典古代」に対置するものとして、奈良の古代美術が位置づく。のちには和辻哲郎『古寺巡礼』などの大正以降の教養主義、そして観光や学校教育を通じて、古代文化をめぐる国民的な「常識」が定置され社会に浸透してゆく。
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