研究課題/領域番号 |
10610317
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
山本 隆志 筑波大学, 歴史・人類学系, 教授 (50191416)
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研究期間 (年度) |
1998 – 2000
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研究課題ステータス |
完了 (2000年度)
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配分額 *注記 |
2,700千円 (直接経費: 2,700千円)
2000年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
1999年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
1998年度: 1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
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キーワード | 乾田 / 二毛作 / 犂耕 / 砂田 / 沼田 / 堀籠 / 湿田 / 干田 / 池 / 掘り上げ田 / 堀田 / 掘籠 |
研究概要 |
荘園時代における耕地の存在形態と農法のあり方を検討するため、今年度は報告書作成をも念頭に置き、次の作業を実施した。〔1〕乾田二毛作の時代的限定性を考察するため、防府天満宮縁起絵の牛牽犂耕場面を現地に則しての読解を試みた。防府市の現地調査の結果と絵を突き合わせ、犂耕場面は迫戸川(用水)灌漑の展開する条里制耕地であり、国衙在庁や天満宮供僧の所有地と見られ、犂耕の地面は麦跡であるとの認識に達した。ただ当時の乾田は安定的でなく、乾燥しやすく、この二毛作田も畠化しやすいと見られる。〔2〕湿田系耕地については、補充調査も兼ねて、東国荘園にて現地調査した。とくに鎌倉末期〜南北朝期に登場する「堀籠(村)」については、武蔵国寺尾郷の分析、下総国大戸荘・上野国高山御厨の現地地名調査に基づき、百姓による湿田の営農形態であることが考察できた。下総大戸荘堀籠村の水田は大半が湿田であり、山裾と河川後背に分布しているが、その用水は山裾の湧水であり、個別的である。これは堀籠が個別的用水によって営まれることを示している。次に下野国佐野荘中村郷の沼田・砂田については再び調査し、現地比定を完了し、沼田は山裾、砂田は川沿いに存在すること(川原田)を確認した。この砂田(川原田)は本来水田であったが、麦作の耕地(畠)に変化している。 全体としてみると、荘園時代の水田は、湿田が主要であり、堀籠などの営農形態を生み出した。また乾田も西国には二毛作田が展開する程であるが、一般的には不安定であり、畠化しやすい傾向にある。
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