研究課題/領域番号 |
10610337
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 早稲田大学 |
研究代表者 |
外園 豊基 早稲田大学, 教育学部, 教授 (60099653)
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研究期間 (年度) |
1998 – 1999
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研究課題ステータス |
完了 (1999年度)
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配分額 *注記 |
3,300千円 (直接経費: 3,300千円)
1999年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
1998年度: 2,400千円 (直接経費: 2,400千円)
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キーワード | 検地 / 検地帳 / 文禄 / 慶長 / 豊前国 / 豊後国 / 失人 / 一揆 / 豊臣秀吉 / 徳川家康 / 朝鮮侵略 |
研究概要 |
本研究の対象地域は、北九州であるが、その大部分を占める豊前国および豊後国に限定して研究を行った。豊後国に関しては、文禄・慶長年間(1592〜1614)の検地帳が多く残っているが、いまだまとまった整理がなされていない状況である。そこで、豊前国を主たる対象として、まず検地帳の所在調査を行うことから始めた。宇佐郡に多く残っており、それに隣接する豊後国国東郡・速見郡にも存在することが判明した。豊前国では、天正15(1587)年の宇佐郡高家村および元重村の検地帳が存在しているが、文禄年間(1592〜95)の検地帳は存在しない。ところで、関ヶ原の合戦を契機として徳川政権が成立するのであるが、慶長6(1600)年、黒田孝高は豊前国より筑前国に移った。かわりに細川忠興が丹後国から、豊前一国と豊後国のうち、国東・速見の二郡を与えられて中津に入ってきた。そして、翌年、細川領国において検地を行った。慶長6(1601)年の細川忠興による検地のときに作成された検地帳は、宇佐郡のみにおいて7冊あることが判明し、その収集を行った。以下、収集した検地帳の名前を記す。 慶長6年9月2日 豊前国宇佐郡月俣村御検地帳控 田方 慶長6年9月7日 同 月俣村畠方御検地帳 慶長6年9月 同 猿渡村畠方御検地帳 慶長6年9月吉日 同 山袋村田方御検地帳 慶長6年9月吉日 同 御検地村目録 慶長6年11月10日 同 高家村検地帳 慶長6年10月吉日 豊前国宇佐村田方御検地帳 慶長6年8月3日 豊後速見郡之内真野村畠方 同 9月吉日 豊後国国東郡御検地村目録 慶長6年 豊後国速見郡之内木付城付知行方目録 上記のうちのいくらかについては、その分析を試み報告書にまとめた。あわせて検地帳の翻刻も行った。
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