平成中期から中世にかけて、天台・真言宗を中心に多様な形で残存する僧侶の日記を収集、一覧表(僧侶日記記主目録稿)にまとめた。結果、貴族社会と同様、12世紀以降大量に現れることが明らかになってきた。ただし、日次記的なものは少なく、個別の法会や修法の記録が中心であり、貴族社会では別記として分類されるものである。しかし、その基底には、日次記がある程度日常的に作成されていたことを示唆する史料がいくつか得られた。 報告書にまとめた「寺院と日記関係史料」は、寺院内部で日記がどのように作成され機能していたかを示す史料を収集・整理したものであるが、中世前期については、貴族社会に比較して記録組織としての機能は未熟で、そのためにこの時期の寺院・僧侶の日記が残存しにくい状況を作っていると考えられた。他に『三僧記類聚』・『参語集』・『真俗交談記』・『東宝記』・『小野類秘抄』など中世における編纂物に含まれた日記関係の記事を収集整理した。また一寺院のトップが代々継続して日記を作成していたことがわかる仁和寺御室については別に「歴代法親王の日記」としてまとめ、その復原のための整理を行なった。 「仏書に見える貴族日記」は、寺院・僧侶の日記が、自律的に発生・流行したのではなく、先行して発展していた貴族の日記の影響下にあったと仮定し、貴族の日記が寺院社会にどのように利用・流通されていたかを明らかにするために関係の史料をまとめたものである。特に院政期段階に貴族社会から寺院社会に流入した日記群が長く後者の中で利用され、後代に逸文・写本その他多様な形で残存させていくように看取されたが、これは前述の寺院社会における記録組織形成の未熟さに関連する現象ではないかと考えられる。
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