研究概要 |
1.「イリヒコ」「イリヒメ」を有する全人名の位置付けの復原 継体段階では,『古事記』『日本書紀』に見える「イリヒコ」「イリヒメ」は,崇神(ミマキイリヒコ)を最初とし,他は全て崇神の子孫に位置付けられる系譜が形成されていた.それは主には多氏に関わるかたちを取った系譜であった.和珥氏を中心として形成された欽明〜敏達段階の系譜では多氏系系譜の変改と関係して,「イリヒメ」が和珥氏系や蘇我氏系にも位置付けられる等の変改がなされ,蘇我氏主導の「天皇記」段階では,和珥氏系系譜の変改に伴って,「ヒコ」「ヒメ」のみを異にする人名の者が同母兄弟姉妹とされるような改変が加えられた. 2.息長氏関係系譜・丹波系系譜の復原 『古事記』所載の息長氏関係系譜と三種の丹波系系譜とを検討し,相互関係を検討した.その結果,継体段階では息長氏関係系譜は多氏と関係する「イリ」の系統,丹波系は和珥氏の系統にそれぞれ位置付けられる系譜であり,欽明〜敏達段階で息長氏の祖と丹波系の祖とが兄弟として位置付けられたこと,「天皇記」段階で丹波系が三系統に分立されたことが想定されることになった. 3.五世紀以前の王統譜の全体的復原 拙著『古代の天皇と系譜』(校倉書房,1990年)及びそれ以後の研究を再検討し,全体的な総括を行った.結果として,前著で想定した天皇系譜形成の最初の画期である継体段階での系譜には多氏の影響が濃厚に窺われること,多氏が「イリ」系と関係することが想定されることになった.
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