本研究は、16世紀前半のスペイン人の植民活動において、総督、総督区を管轄する上級裁判所(the audiencia)の裁判官、遠征隊の隊長などの征服事業に占めた役割を検証することに主眼がある。南米大陸北岸の征服と植民にはエスパニョーラ島に住居を構えていた郷士が多かったが、カルタヘーナはエスパニョーラ島アスナ村のペドロ・デ・エレディアが総督職を手に入れ、征服を始めた。しかし、彼の不法行為にたいして、エスパニョーラ島の高等裁判所は査察を決定し、その任に裁判官フアン・デ・バディージョを選んだ。だが、バディージョはカルタヘーナに入ると、総督にかわって内陸カウカ盆地への大規模な遠征を組織しはじめる。ところが、カウカ盆地はフランシスコ・ピサロのもとでペルーの征服に従事してきた兵士たちが、その数年前からカリやポパヤンの町を築いてすでに居住していた。とくに兵士のホルヘ・ロブレードは、バディージョがカリ市に着いたあと、総隊長となり、パディージョの兵士たちを糾合して、カウカ盆地を南から征服し、いくつかの町を建設した。これらの地域が原住民の人口も多く、生活水準も高く、その上金鉱に恵まれていることがわかると、この地域をめぐって、カルタヘーナ、ポパヤン、サンフアンの総督区の各々の総督が支配下に入れようと熾烈な争いが起こった。このような闘争がつづくなかで、カウカ盆地の町々は、金の採掘を中心にした地域経済の中心地となっていく。
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