研究概要 |
(i)中世後半の瓦については,『中世瓦の研究』において,中世VI期(1380〜1430),中世VII期(1430〜1490),中世VIII期(1490〜1575)に細分し,大和・京都・和泉・播磨・紀伊・尾道・上野・下野・武蔵・九州・沖縄の各地域について詳細に論じた。大和と京都は比較的類似したものとなっており,和泉は全く異なる。播磨と紀伊は,和泉・摂津的なものと,大和的なものとが入り混じる。尾道は大和の影響を受けつつ独自のものを作りだす。上野・下野は京都的なものが入る時期があり,武蔵は和泉的なものの影響を強く受ける。九州は本州とは異なる独自の特徴を有しており,沖縄は朝鮮の高麗瓦の影響と九州の瓦の影響を受ける。 (ii)近世前半の瓦については,近世I期(1575〜1583),近世II期(1583〜1591),近世III期(1591〜1607),近世IV期(1607〜1640),近世V期(1640〜1680)に細分して論じた。近世I期は安土城・松ヶ島城・清洲城の瓦が代表で,二次調整加工が入念。近世II期は聚落第と大坂城の瓦が代表で,二次調整加工が粗雑となり,安土城系瓦は断絶する。近世III期を代表するのは四天王寺・伏見城・法隆寺・清洲城・本門寺の瓦で,文様的には四天王寺の瓦に新意匠がみられる。近世III期以降では,それ以前の粘土板糸切りから,粘土板鉄切り(コビキB)へ全国一斉に変化し,ここに近世初期の瓦における画一性が認められる。近世IV期では興福寺一乗院,四天王寺・名古屋城・駿府城・江戸遺跡の瓦でみると,文様及び技法の新たな地域性の出現がある。近世V期では,江戸遺跡に運ばれた瓦として従来指摘されていた「大坂系」の瓦の他に,静岡東部から神奈川県西部までの地域で生産された瓦が多量に運ばれていることを,初めて明らかにした。
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