研究概要 |
江藤淳がラファエル前派の絵画と漱石の小説との関係を言い出してから、この発想を超えられない傾向が続いているようである。尹相仁『漱石と世紀末』(1994)は、『それから』の代助にダヌンチオ『快楽児』やワイルド『ドリアン・グレイの肖像画』の主人公の影響を見ようとするところなど、牽強付会による誤読が目立つ。だが、漱石と世紀末の唯美主義、耽美主義との関係は江藤らがいうほど深くないのである。 それよりも深くて本質的なのは、世紀末の社会ダーウィニズムのイデオロギーとの関係である。特に文明批評家としての漱石に的を絞れば、それはいっそう明らかである。漱石がロンドン遊学中に読んだJ.B.Crozier, History of Intellctual Development ; Benjamin Kidd, Social Evolution ; Max Nordau, Degenerationなどが説く社会ダーウィニズムのイデオロギーは、それを科学的真理と思い込んだ漱石によって、明治日本の開花に対する批評のなかに活用されている。「現代日本の開花」(明治四四年)の骨子は、開花は避けられないが、日本の開花は機械的であり、西欧の水準に短期間で追いつこうとするために神経衰弱になる、生存競争は激化する一方であるというものである。これは「生存闘争が進歩を生み出す」とか、「進歩は必然であり、花が開くのと同じく自然の一部である」とか、「人間の器官は急激な文明の進歩について行けずに神経病を生む」といった社会ダーウィニズムのイデオロギーの応用あるいは換骨奪胎である。文明開化は反自然の機械的・外発的性格と、急激な変化において進化の法則に反していると、漱石は見たわけである。
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