沖縄県は県全域を自由貿易地域とする将来構想を打ち出し、専門家のみならず一般市民の間でも熱い賛否両論を巻き起こした。しかし、論争が盛んに行われた割には、取り立てるほどの成果を生んでいない。その主な理由は、「外国企業が自由に乱入してきたら、地元企業は立ちどころに壊滅する」式の粗野でヒステリックな感情的レベルの議論に終始し、さしたる学問的深化をみることなく沈静化してしまったことにあると筆者は考えている。自由貿易対保護貿易の論争の歴史は古いが、ここでは対象を20世紀に入って以降に当面限定し、先ずは第二次大戦後の世界経済がどのようにして幕を上げ、今日の国際経済の流れを造り出してきたかを確認しておきたい。戦後の国際経済はブレトン・ウッズ体制の下で誕生した国際金融基金(IMF)の枠組み、より具体的に言えば金・ドルにペグした固定為替相場制を前提に展開することになった。国際金融基金制度の導入の立役者はイギリスのJ.H.ケインズとアメリカのH.F.ホワイトで、両者とも第一次大戦の勃発は地域ブロック化にともなう閉鎖性と為替相場切下げ競争による国際経済秩序の崩壊が基本的な原因であったし、前轍を踏まないためには第二次大戦後は為替相場の安定化と多角的決済機構の確立を図って貿易自由化を推進する必要があるとする点で認識を共有していたが、一方、両者はいくつかの基本的な点で見解を異にしていた。例えばケインズはバンコールという全くの国際管理通貨、すなわち金兌換性のない通貨の導入を想定したのに対し、ホワイトはあくまで金ないし兌換ドルに裏付けられたユニタスを基軸通貨とすることを主張した。本報告書では<その1>として国際金融基金の成立過程をケインズ案ならびにホワイト案の比較検討を通じて明らかにし、沖縄自由貿易地域構想の成否がかかっている国際経済の今後の動向を展望できる視点の形成に努めたい。
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