研究概要 |
平成10年度は科学アカデミーの懸賞の種類について調べ,東大教養学部所蔵のPrix de l'Academie Royale des Sciences(1720-1772)は,いくつかの懸賞の中で,メスレー遺産の一部を基金として発足した懸賞論文の論集であることが判明した.この年はこの懸賞の課題と受賞者などについて調査した.また,パリで科学史センターの研究者にレクチャーを受け,科学アカデミー古文書館で調査した結果,メスレー懸賞は1795年度まで課題が出されていることが判明した. 平成11年度はフランスより届いた研究書から,1773年度から1795年度まで(完全に成立は93年まで)のメスレー懸賞について10年度と同様のことをまとめた.さらに1772年までの分において,不明であった部分を上記の研究書の資料によって補った. 平成12年度は,メスレー懸賞の最終的まとめと,アカデミーそのものの歴史,また例外としての,女性が参加した1738年の懸賞を特に分析した.そこから判明したのは,他の文化活動同様,18世紀前半と後半で懸賞の性質が大きく変化しているということである.特に自然学部門では,前半は形而上学も重視され,非数学的課題もあり,参加者の数も多いし職業も幅広いが,後半の題は高等数学なしには解けないものになってゆき,参加者の顔ぶれも限定されてゆく. 1720年から93年まで続いたメスレー懸賞が示しているのは,18世紀フランスにおける数学的ニュートン主義の普及と科学の専門化であり,それは科学の有用性が社会に浸透してゆくと同時に,科学が数学を理解できない,または数学教育を許されない人々を排除してゆく過程でもあった.
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