研究概要 |
中世においても瀬戸内は,畿内への輸送ルートとして重要な機能を果たし続けた。文安2(1445)年「兵庫北関入船納帳」は、同年にこの瀬戸内を通って兵庫北関へ入船した船から関銭を徴収するための帳簿で、のべ約1950艘毎に、(1)入船月日、(2)船の所属地(船籍地)、(3)物品名、(4)数量、(5)関銭、などのデータが斉一的に順次記録されている。(6)に示されている船頭は、船籍地(2)を本拠地として活動し、物品(3)を多くの場合その船籍地から積み出したと考えられる。そして、兵庫北関を通関して入船納帳に登録されたのち、さらに京方面に運ばれたのである。すなわち、瀬戸内沿岸から京に向かう求心的な流れを量的に押さえることのできる希有の史料となっている。 そこで本研究の目的は、求心化されない流通の存在にも留意しながら、文安2年「兵庫北関入船納帳」に登録された船を分析することによって、瀬戸内沿岸地域にみられる畿内中心の地域構造を考察することに置いた。 (2)船籍地のデータを見ると、東は京に近い摂津堺から西は遠く豊前門司(兵庫から約300km西方)まで100余ヶ所となる。そして、主な考察の対象として、順次、摂津・播磨・淡路3ヶ国に属する37ヶ所、阿波国に属する9ヶ所、備前・備中・備後3ヶ国に属する24ヶ所を選定し、分析を行った。具体的には、1艘毎のデータに注目しながら、各船籍地の船に積載された物品を検討した上で、船籍地を分類し、研究対象とされた所属国のグループにみられる特徴を指摘した。 さらに、物品が積載された船の所属地の分布と各々の構成比のパターンから物品を分類した。これらの検討に基づいて、瀬戸内沿岸地域にみられる畿内中心の地域構造を考察した。
|