上記の研究課題のもとで、宗教に関わる言説が近代日本の社会で、どのように構築されていったのかを検討した。本研究では、文芸雑誌「女学雑誌」・「文学界」・「三籟」をとりあげて、それぞれの雑誌に拠って活躍した北村透谷および松村介石らの著作に着目した。明治20年代において、キリスト教が文学に及ぼした影響、とりわけ「文学」概念そのものが近代日本の社会で成立しつつあった状況を念頭において、その影響を具体的に検証した。当時、実証主義的な見地からキリスト教を捉える「新神学」(自由主義神学)がドイツから輸入され、透谷・介石ともにその考え方に影響されながら、宗教活動・文学活動を行っていた。若いキリスト者らしくキリストの神秘性を払拭するような新神学の革新性に興味を持ったのである。ところが、明治の時代思潮を反映するような合理的な思考とは全く反対の、いわば神秘主義的な宗教性とでもいうような、非合理的な発想を透谷・介石ともに持ち合わせていたのである。彼らが使用した「インスピレーション」「秘宮」などの言葉は、まさにその現れであった。一見すれば、矛盾としかいいようのない局面を内在させていた点を追究して、近代日本文学の本質的な問題を解明した。「非合理」を克服して「合理」的なものが進展するのが「近代」であるとは、単純に言い切れない問題がそこに含まれており、近代のキリスト教がみずからの宗教性を保つためには、神秘性を否定してしまうことができないジレンマを抱えていたことにつながる問題である。そのような観点から近代文学を読み返し、あらためて「近代」を捉えなおした。
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