研究課題/領域番号 |
10871008
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研究種目 |
萌芽的研究
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
思想史
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研究機関 | 名古屋大学 |
研究代表者 |
田村 均 名大, 文学部, 教授 (40188438)
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研究期間 (年度) |
1998 – 2000
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研究課題ステータス |
完了 (2000年度)
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配分額 *注記 |
1,900千円 (直接経費: 1,900千円)
2000年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
1999年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
1998年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | 自己犠牲 / 自己欺瞞 / コギト / デカルト / 人格 / person / ハレ / メラー / エウリピデス / ティム・オブライエン / 宮沢賢治 / 比較文化 / 狩猟 / キリスト教 / 犠牲 / 倫理 |
研究概要 |
平成11年度は、自己犠牲self-sacrificeと類似の論理的矛盾をはらむ自己欺瞞self-deceptionの分析を進めつつ、同時に、両者に共通の概念要素である《自己self》についての基礎的な見通しを得る作業を行なった。自己欺瞞や行為の不合理性の捉え方については、自我の統合の実現という古典的な枠組みによって行為選択のディレンマを解決できると見るE.J.レモンやS.ハンプシャーなどの立場から、自己欺瞞を古典的自我理想と人間の適応機構との間に必然的に生じるずれに由来するものと見て、人格の階層性や複合性を捉えようとするA.0.ローティの立場まで、大きな幅がある。これらの立場の精査を通じて分かったことは、欲求と信念から行為を導くデイヴィドソン的な理由=因果分析の方法が、因果の一意性を想定することにともなって理由づけの多層性を暗黙のうちに排除してしまう、という方法論的な欠陥を持つことに、自己犠牲や自己欺瞞を論理的に分析する際の根本の問題がある、ということである。 この点を承けて、論文「私は考える、ゆえに、何があるのか?-コギトの自然化と社会化の試み-」において、「私」の一意的な存在を帰結する伝統的な論法であるデカルトのコギト論証を取り上げ、コギト論証から帰結するものが何であるのかを、厳密に確定することを試みた。そして、ヒンティカ、D.H.メラー、ロム・ハレなどの考察を手がかりにして、コギト論証から帰結する一意的な私の存在とは、結局、身体の存在にすぎず、身体運動ならぬ人間的行為の道徳的な領域を問うためには、コギト論証とはまったく別の社会哲学的・歴史的な考察によって、社会的諸関係の中に置かれた人格(person)を導入せねばならないことを明らかにした。
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