研究課題/領域番号 |
10878001
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研究種目 |
萌芽的研究
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
科学技術史(含科学社会学・科学技術基礎論)
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研究機関 | 東京工業大学 |
研究代表者 |
梶 雅範 東京工業大学, 大学院・社会理工研究科, 助教授 (00211839)
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研究期間 (年度) |
1998
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研究課題ステータス |
完了 (1998年度)
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配分額 *注記 |
1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
1998年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
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キーワード | メンデレーエフ / 大津事件 / ヴラジーミル・メンデレーエフ / 長崎 / ロシア海軍 |
研究概要 |
ロシア連邦のサンクト・ペテルブルグ大学付属メンデレーエフ文書館・博物館に所蔵されていた、メンデレーエフとメンデレーエフの息子で海軍士官であった長男のヴラジーミルに宛てられた日本からの計二通の手紙について、その手紙が出された経緯を明らかにした。手紙によれば、海軍士官ヴラジーミル・メンデレーエフは長崎を訪れ、長崎で秀島タカという名前の日本人妻をもち、ヴラジーミルの帰国後に二人の一子どもとしてタカという女の子が生まれたことがわかる。ヴラジーミルの長崎訪問を跡づけるために、当時の回想録やサンクト・ペテルブルクの海軍文書館に保存されているヴラジーミルの軍歴表を検討し、長崎県立博物館に保存されている当時の長崎の新聞や大津市歴史博物館の大津事件関係の史料などを調査して、ヴラジーミルが、1891年5月、大津事件で有名なニコライ皇太子の訪日の際にその旗艦に同乗して来日しており、その後翌年までにさらに3回長崎を訪れていることを突き止めた。したがって、ヴラジーミルは、秀島タカと1891年の暮か翌年の4月に知り合い長崎滞在の1ヶ月か2ヶ月をともに過ごし子供をもうけた可能性が高く、フジが生まれたのは93年1月であったことがわかった。 こうした調査結果は、日本大学生物資源科学部(神奈川県藤沢市)で開かれた湘南科学史懇話会(1998年9月15日)、東京工業大学の火曜日ゼミ(同年9月28日)、岡山県津山市で開かれた1998年度化学史研究会(同年10月18日)、早稲田大学文学部で開かれた来日ロシア人研究会(同年11月21日)でそれぞれ発表し、有益な意見や議論を聞くことができた。
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