研究課題/領域番号 |
10F00382
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 外国 |
研究分野 |
建築史・意匠
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研究機関 | 京都府立大学 |
研究代表者 |
大場 修 京都府立大学, 生命環境科学研究科, 教授
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研究分担者 |
KUO Yawen 京都府立大学, 生命環境科学研究科, 外国人特別研究員
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研究期間 (年度) |
2010 – 2012
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研究課題ステータス |
完了 (2011年度)
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配分額 *注記 |
1,900千円 (直接経費: 1,900千円)
2011年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
2010年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 日本統治時期 / 台湾 / 日式住宅 / 日本人住宅地 / 居住実態 / 台北帝国大学 / 高等官官舎 / 判任官官舎 / 台湾総督府 / 供給型住宅 / 官舎 |
研究概要 |
本研究は、日本植民地であった台湾を事例として、当時の日本人よる海外居住の実相を明確にすることを目指している。具体的には、日式住宅の供給型住宅に着目し、その住宅地の形成過程および建設経緯をはじめ、建築的特徴や居住実態を把握することを目的している。 平成23年度は、研究分担者は台湾台北市において、日本統治時期の大学官舎の遺構の実態について現地調査を行った。また、当時、実際に大学官舎に居住していた日本人居住者に連絡をとり、東京都、京都市、宝塚市、町田市、松山市、浜松市、光市などにおいて彼らを訪問し、各住宅の建設当初の状況などについてインタビュー調査も行った。 大学官舎は、昭和3年に台北帝国大学が設立された際に、台北帝国大学の教員の住居として建設された。知識層が多く、研究や教育に熱心な日本人が集まる住宅地で、日本統治時期当時、「大学官舎」と呼ばれていた。 現地調査では、当時の大学官舎は、台北帝国大学教員の職階によって、提供される住宅の規模が「高等官官舎第三種」(一戸建)、「高等官官舎第四種」(一戸建)、「判任宮官舎丙種」(二戸建)の三種類に分けられていたことが分かった。「高等官官舎第三種」の主屋は、間口10間強、奥行5間強の、「高等官官舎第四種」の主屋は、間口7間半強、奥行4間半強の瓦葺きの平入平屋建ての木造住宅であった。「判任官官舎丙種」の主屋は、二戸建てで、一戸当たりの間口4間半、奥行4間強の瓦葺の平入平屋建てのレンガ造住宅であった。現在、「高等官官舎第三種」の住宅は2戸、「判任官官舎丙種」の住宅は6戸しか残存していない。 インタビュー調査によると、「高等官官舎第三種」の住宅は教授に、「高等官官舎第四種」の住宅は助教授に、「判任官官舎丙種」の住宅は講師、助手や副手に割り当てられた。40戸のうち、教授の住宅は10戸で、助教授の住宅は16戸、講獅、助手や副手の住宅は14戸であった。また、独身の教員は「単身官舎クラブ」に居住し、その部屋数は16室あり、建物の中央に共同用の娯楽室、談話室、閲覧室、食堂が配置されたことが分かった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
当時の供給型住宅である大学官舎建築の外観や構造を把握する上で、大学官舎での生活状況と日本居住者による各住宅の居住実態が重要な意味を持つため、これらについて詳細に分析するとの計画を立てていた史料・資料の調査とインタビュー調査は当初予定していたより事例数が増えたが、既に一通り終えることができた。しかし、今年度は、研究分担者が体調を崩し、暫く入院と、その後の数か月にわたる通院治療を受けたため、各住宅の居住実態までの分析を終えるにはまだ至っていない。今後は、それらの分析を行い、研究結果としてまとめることを目指している。
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今後の研究の推進方策 |
現在まで明確にした持家研究の成果と比較検討することで、当時、同じ台北帝国大学の教員の住宅のうち、個人住宅として建設された住宅地や住宅と、供給型住宅として建設された住宅地や住宅との相違点を解明することができると考えられる。従って、今後の研究は、大学官舎の住宅地の形成過程、建設経緯、建築的特徴や居住実態を把握する上で、持家研究の成果と比較検討しながら、当時の日本人よる旧昭和町の居住の実相を明確にするまで推進したい。また、日式住宅の供給型住宅は官舎に留まらない。当時の資料が電子化されれば、これまで以上に社宅や営団住宅、移民住宅に関する文献史料・資料や図面などを入手しやすくなるので、当時の供給型住宅の全体像やそれぞれの建築的特徴などの解明を進められると考えられる。
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