研究課題/領域番号 |
10J02331
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 国内 |
研究分野 |
美学・美術史
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研究機関 | 東京芸術大学 |
研究代表者 |
太田 智己 東京芸術大学, 大学院・美術研究科, 特別研究員(DC2) (90706714)
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研究期間 (年度) |
2010 – 2011
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研究課題ステータス |
完了 (2011年度)
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配分額 *注記 |
1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
2011年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
2010年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
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キーワード | 美術史 / 美術史学史 / 日本近代 / メディア / 研究費 / 研究体制 |
研究概要 |
1910~50年代の美術史学の展開過程について、アカデミズム化と社会普及という2つの側面から検証を行なった。研究により明らかになった事項は、主に次の2点である。第1に、この時期のアカデミズムの形成に関し、(1)1949年発会の美術史学会が、既存の学術インフラ(高等教育美術史教育課程、学会・研究所・職業研究者ポスト、学術ジャーナル)の集大成として位置づけられること、(2)その美術史学会が草創期に、美術史学の学問的アイデンティティを、史学の下位分科として表明したこと、(3)それにより1950年代初頭の科研費配分に際し、それまで哲学の下位分科にあった「美学・美術史」カテゴリが、史学の下位分科の「美術史」カテゴリとして自立したことである。つまり美術史学会は、学術研究としての美術史学を自律した研究領域として独立させる役割を担い、この経緯を経ることで、美術史学というディシプリンは、国民国家の対外文化戦略のために用いられた明治期の「日本美術史」から脱却し、人文科学の一学術研究に生成していったのだといえる。また第2に、1910~50年代における美術史知識の社会普及の経路としては、円本美術全集やラジオの美術番組といった各メディア、あるいは、講談・ラジオドラマ・大衆小説・児童書といったサブカルチャーの美術史叙述の方が、展覧会や美術館といった"正規"のルートよりも重要な手段となっていたことも明らかした。そして、こうした諸経路が制度として成立したことが、明治期の美術史学とは異なる、1910~50年代の美術史学の特色でもあった。以上の2点から、アカデミズムで実証研究を行ない、そこで得られた学術知をアウトリーチするという現在の美術史学の構造が、1910~50年代に整えられたことが指摘できる。
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