研究概要 |
送粉者の違いによる適応的種分化の過程について理解を深めるには,花色・花香などの誘引に関する形質と,柱頭や葯の位置などといった花粉授受に関する形質の両方について,送粉・受粉成功への貢献度を評価する必要がある。本研究では,送粉プロセスを通して花粉の移動を観察するために,キスゲ属を用いた混生集団において,柱頭に受粉された花粉の生産個体を特定した。主にアゲハチョウに送粉されるハマカンゾウは,昼咲きで香りのない赤い花をつける。一方,主に薄暮性および夜行性スズメガに送粉されるキスゲは,夜咲きで甘い香りのある黄色の花をつける。このハマカンゾウ24株とハマカンゾウとキスゲのF2雑種12株で構成された実験集団において,送粉者の訪花行動を観察した。さらに,アゲハチョウとスズメガの訪問毎に柱頭を採取し,付着した花粉一粒ずつの遺伝子型から花粉生産株を決定することで,実験株のオス繁殖成功・メス繁殖成功を測定した。これらを指標に,アゲハチョウとスズメガが花形質に与える選択圧を階層ベイズモデルを用いて評価した。その結果,アゲハチョウを介した送粉では,赤花と弱い花香が選択された:獲得他家花粉数において花色に対する安定化選択が,オス・メス成功の統合指標において花香に対する安定化選択が検出された。この結果は,主にアゲハチョウに送粉されるハマカンゾウが,香りのない赤花であることの理由となる。一方で,スズメガを介した送粉において,花色や花香に対する選択は検出されなかった。この結果は従来の「キスゲの黄花や甘い花香はスズメガに適応して進化した」という仮説を支持しない。少なくとも薄暮性スズメガに黄花や花香は選択されないことから,夜に送粉される花の進化は,黄花や花香の獲得よりも昼咲きから夜咲きへの開花時間のシフトをトリガーとした可能性が高い。昼と夜では,送粉者相だけでなく,非生物的な環境も大きく異なる。これらの違いが,キスゲの黄花や甘い花香の進化に影響したと考えられる。
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