研究課題/領域番号 |
10J07731
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 国内 |
研究分野 |
地域研究
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
松村 智雄 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(DC2)
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研究期間 (年度) |
2010 – 2011
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研究課題ステータス |
完了 (2011年度)
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配分額 *注記 |
1,400千円 (直接経費: 1,400千円)
2011年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
2010年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
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キーワード | 国際情報交換 / インドネシア / 華人 / 中国 / 国籍 / カリマンタン(ボルネオ) / 国民統合 / 西カリマンタン |
研究概要 |
学術振興会に当初届け出たテーマである「インドネシア華人の法的・社会的地位の変遷」に沿って、特に本年度は、前年度のインドネシア西カリマンタン州およびジャカルタにおける現地調査に基づいてアウトプットを行った。 西カリマンタン州の華人は、インドネシア独立(1945年)以前から独立性が高く、インドネシア独立後も彼らはインドネシア国家と直接には関わりない生活を送っていた。彼らのうちのエリート層においては、むしろ自らを中国人と位置付ける傾向が顕著であった。そのような彼らがインドネシアという国家の存在を強烈に意識する契機となったのが、1967年に起きた西カリマンタン内陸部からの華人追放事件であった。これについて、前年度の調査で多くの新しい情報が集まったので、これをもとに論文を執筆した(業績蘭参照)。この事件はスハルト政権成立の契機となった1965年9月30日事件の余波が西カリマンタンに及んだ事件とされている。マレーシア、インドネシアの国壌地帯で活動していたマレーシア領サラワクの華人主体の共産主義ゲリラを討伐するために、彼らを援助しているとインドネシア軍部に目された内陸部の華人が追放され、沿岸部のポンティアナックやシンカワンといった都市に集住させられた。 私の論文は、これまで詳細が明らかになっていなかった当該事件におけるインドネシア軍人の関与について具体的に跡付けるものであった。 また西カリマンタン華人のインドネシア独立後の歴史を包括的に記述した博士論文の草稿がほぼ完成した。それに含まれる内容は次である。(1)インドネシア独立後1950年代の西カリマンタン華人の動向。(2)スハルト体制の華人同化政策下での、西カリマンタン華人とインドネシア国家との駆け引き。(3)追放事件以降、生活の糧を求めて西カリマンタンからジャカルタ、あるいは海外に西カリマンタン華人が拡散していった過程。(4)華人の政治参加が盛んになったスハルト後の時期に起きた、西カリマンタン華人の政治分野への進出の過程。これらが内容である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
当初の研究予定では、インドネシア華人の法的・社会的地位の変遷を包括的に研究することを掲げていた。しかし実際には地域によって土地の文脈が異なり、この目標をすべて本年度中に達成することは困難であった。しかし、西カリマンタン華人社会がたどった変容については、長期にわたるフィールド調査が可能であったために、ほとんど先行研究で知られていないことについても、様々な種類の資料を組み合わせることにより記述可能になった。
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今後の研究の推進方策 |
西カリマンタンというマレーシア領サラワクと隣接している場所を研究することによって、インドネシアという国家概念(ネイション)の枠組みを相対化することを目指す。西カリマンタン華人の歴史を研究する中で痛感したのは、彼らの中では、これまで華人研究で通説となってきたような中国志向、インドネシア志向といったもの、あるいは「華僑(中国志向)から華人(現地志向)へ」といった理解の枠組みでは捉えられないような非常にフレクシブルな動きが存在するという点である。彼らは、自分たちが持つ文化的、経済的、属地的紐帯を資源として利用して、インドネシア国内外に活躍の場を拡大してきたのである。 この彼らの性向に注目することで、現在においてますます顕著になっている、人間の帰属意識、あるいは自己定位の複雑性を描き出すことを試みたい。これまではインドネシアを中心として調査を行ってきたが、これからは隣国マレーシアや、西カリマンタンからの多くの移住者が居住する台湾、香港などに調査地を広げ、一国家の研究だけでは止まりえない、人間の活動領域の拡大を反映していると思われる西カリマンタン華人のさまざまな地域への拡散について研究したい。
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